ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、過酷な土地だから生まれた?
モチオカ(望岡 慶)
ふと、
ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も、どれも過酷な地理的条件の地域で生まれた宗教…?
と気づいた。学問的に完全に正しいとは言えないかもしれないが、自分なりの解釈としてまとめておきたいと思う。

ユダヤ教

- 発祥地: 現在のパレスチナ(カナン地方、のちのイスラエル)
- 地理的条件: 地中海東岸の半乾燥地帯。エジプトやメソポタミアといった大国に挟まれ、戦乱や侵略が絶えない地域。
こうした過酷な環境の中で、神との強い契約意識や民族の結束が育まれたのではないだろうか。
キリスト教

- 発祥地: ローマ帝国支配下のパレスチナ
- 地理的条件: ユダヤ教と同様に半乾燥地帯。ローマ帝国の辺境で、支配と抵抗が交錯する政治的・宗教的に不安定な土地。
苦しむ人々の中で、救いと希望を与える教え(愛や許し、来世の希望)が求められた。そこから、ユダヤ教をもとに、より広い民衆に開かれたキリスト教が生まれたのだろう。
イスラム教

- 発祥地: アラビア半島のメッカ(現在のサウジアラビア西部)
- 地理的条件: ほとんど雨が降らない乾燥地帯。食料や水の確保が難しく、部族ごとの争いも絶えなかった。
生きるのが難しい環境の中で、強い行動規範や共同体の連帯、そして来世での救いの教えが求められたのだろう。
宗教とは
こうして見てくると、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、いずれも厳しい自然環境や不安定な社会状況の中で生まれたことがわかる。
つまり宗教とは、人々が過酷で苦しい状況の中でも、生きる意味や救い、希望を見出すためのものとしての役割を持っていたのだろう。
自然が豊かな場所では・・・
一方で、自然環境が比較的豊かな地域(もしくは人間同士の対立・抗争が比較的穏やかな地域)では、少しちがった形の信仰が見られることが多い。
たとえば、日本や中南アフリカ、アマゾンの熱帯雨林などでは、自然そのものを神聖な存在ととらえる信仰(自然崇拝・アニミズム)が広く見られる。

自然環境が豊かな地域では、「自然とともに生き、調和する」ことを大切にするのだろう。
※自然環境的には厳しいオーストラリア内陸部やユーラシア大陸北部、北アメリカ大陸北部でも自然崇拝が見られるが、これは人間同士の対立・抗争が比較的穏やかだったからだと思う。
まとめ
自然環境が厳しいか、恵まれているかによって、人々が求める宗教のあり方も変わってくるのだと思う。
- 過酷な環境 → 「超越的な神」や「厳格なルール」を求める信仰(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など)
- 恵まれた環境 → 「自然の中に神を見出す」ゆるやかな信仰(アニミズム・自然崇拝など)
では仏教は?
→なぜ仏教は世界宗教になり、ヒンドゥー教はならなかったのか?