日本史

宗教の歴史【近代以降の日本】

【江戸時代末期(開港後:1854〜67)】

1864年、居留するフランス人のために長崎にカトリック教会「大浦天主堂」が建てられた。1865年、浦上の潜伏キリシタンが信仰を告白(「信徒発見」)。

1867年、江戸幕府は浦上のキリシタンを摘発・拷問した(浦上教徒弾圧事件)。江戸幕府滅亡後、幕府のキリスト教禁止政策を引き継いだ明治政府は浦上の村民たちを流罪とした。

開港後の混乱や討幕運動による社会不安の中で、のちに教派神道と呼ばれる民衆宗教が急速に広まった

  • 黒住教(1814)
  • 天理教(1838)
  • 金光教(1859)

【明治時代前期(殖産興業:1867〜)】

明治新政府は祭政一致の立場をとり、神道を国教化して仏教を排斥した。

  • 1868 神仏分離令(廃仏毀釈が起こる)
  • 1869 戊辰戦争の戦死者を合祀するために招魂社を設立(1879 靖国神社へと改称)
  • 1870 大教宣布の詔
  • 1871 神祇省の設置

しかし、神道の普及と仏教の排斥は国民に浸透しなかった。1872年、神祇省は教部省へと改められた(1877廃止)。

1870年代中頃以降、政府は民間の神道を公認し始めた(教派神道)。

キリスト教禁止政策は新政府成立後も維持された(1869五榜の掲示)。が、欧米を視察中の岩倉使節団はキリシタン弾圧が条約改正交渉の障害になっていることを知り、本国に打電通達。1873年、キリシタン禁制は廃止された。

【明治時代後期(資本主義成立期=日清戦争〜日露戦争:1880年代後半〜1911)】

1889年発布の大日本帝国憲法の中で、信教の自由が明文化された

1890年に教育勅語が発布されて天皇が国民の道徳的・思想的中心に位置づけられると、国家主義とキリスト教の間で衝突が起こるようになった(1890内村鑑三不敬事件)。

【昭和(戦後の占領下:1945〜52)】

敗戦後の1946年、昭和天皇は「天皇を現御神(アキツミカミ)とするのは架空の観念である」と述べた(天皇の人間宣言)。

1947年に日本国憲法が施行され、信教の自由と政教分離が規定された

【昭和(高度経済成長:1955〜73)】

1970年代以降、新宗教が急速に拡大した。

  • 旧統一教会(1954設立@韓国)
  • 1986 幸福の科学
  • 1987 オウム真理教

参考文献

新宗教

神道国教化

浦上四番崩れ

内村鑑三不敬事件

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モチオカ

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