【授業づくり】僕が作りたい社会科の授業

既存の「よくある社会科の授業」には問題があると思っている。本質的な社会科の授業を作りたいと思っている。
殴り書きになるけれど、どんな考えで社会科ブログを運営しているかをメモする。誰かの参考になれば幸い。
社会のビジョンを描けない時代
戦後の復興期から2000年代に入るころまで、「より良い生活」はわかりやすい形をしていた。カラーテレビが普及する、家電が薄く小さくなる、車が手に入る・・・生活の向上が目に見えた時代には、「次はこうなる、こうしたい」という未来像を描きやすかった。
しかし今はそうではない。それなりに豊かな生活が実現した今、多くの人が「これ以上、社会をどう良くすればいいのか」をイメージできなくなっていると思う。
未来像が描けないとき、人はどう動くか。自分で考えて行動するより、他のものに頼ろうとする。
- 優越感をお手軽に得るために、大衆の中で「イケている」とされている側に立つ(=勝ち馬に乗る)ための「ダサいもの叩き」をする。敵を叩く。空気で動く。インフルエンサーの後追いをする。
- 具体的に何をしたらいいかがわからないし、思考するのが大変なので、改革ではなく保守になびく
- 株価が上昇することを期待する(お手軽に稼ぐ)
- 通貨安という手段に頼ろうとする
- 政権がなんとかしてくれると信じる
これらはどれも、自分なりの未来像を持てないことから来る「他力本願」の結果じゃないかな。
だからこそ今必要なのは、一人ひとりが社会の未来を自分ごととして考える視点を持つこと。そして「みんなで価値あるものを作っていこう」という意識を取り戻すこと。
ビジョンを描く授業に
学校の社会科では「あなたはどんな社会を目指したいですか?」と問われることはほとんどない。ていうか僕自身が生徒に問うてこなかった。
これじゃいけない。
例えば、今ホットな話題「裁量労働制」の是非について考える際、そもそも「労働の理想的なあり方は?」っていう目指したいビジョンを持っていないと、政府や野党が提案する政策について評価できない。
制度の「What(何か)」は教えるけれど、「Why(なぜそうあるべきか)」や「Where(どこを目指すのか)」を考える機会を設けない。これじゃダメだと思う。
「裁量労働制」について考える場合、本来なら、こんなステップを踏む必要がある
- 労働の理想的なあり方とは何か?(自律性?安全?生産性?)
- 現状はそこからどれだけ遠いか?
- 裁量労働制はその理想に近づくか、遠ざかるか?
この順番を踏まずに「賛成か反対か」を議論しても、かみ合わない水掛け論になってしまう。国会の議論やSNSの議論が空回りして見えるのも、実はここが原因の一つではないかと思っている。
ということで、このブログでは「社会のビジョンを描く授業」を考えて提案していきたい。この考えに興味を持っていただけた方、あるいは同じ問題意識を持っている方と、ぜひ一緒に考えていきたいと思っています。










