扶養控除・配偶者控除の制度ができた歴史的背景とは?【年収の壁】
いま話題の「年収の壁」の元凶である扶養控除・配偶者控除。
なんでこのような制度ができたんだろう?って気になったので、歴史的背景を調べてまとめてみました!
扶養控除・配偶者控除の制度ができるまで
ポイント
サラリーマンの税負担を軽減するために、扶養控除・配偶者控除の制度が作られた
その背景には、農業者・自営業者とサラリーマンの税負担の差があった
- 農業者・自営業者:法人化による節税が可能+所得補足率が低い
- サラリーマン:法人化による節税が不可+所得補足率が高い
扶養控除・配偶者控除は「女性を家事に専念させる」という目的で作られたわけではない
(自民党の中にそういう考えを持っていた人が多かったかもしれないけど・・・)
ただ、結果的に「女性を家事に専念させる」ことになってしまったのは事実
【明治時代後期(資本主義成立期=日清戦争〜日露戦争:1880年代後半〜1911)】
1887年、日本で所得税が導入された(当初は国税収入の1〜2%程度だった)。
日清戦争後、「戦後経営」の財源を確保するために増税の必要が出てきた。一方で、日本の経済が急成長し民間企業が増加した。
そこで1899年に所得税法が改正され、所得税が法人にも課されるようになった。
【大正時代前期(第一次世界大戦前後:1912〜19)】
東京や大阪などの大都市を中心に、会社員・銀行員・公務員などの俸給生活者(サラリーマン)が大量に生まれた。そこで、このような人々に配慮した税制がとられるようになった。
・1913 勤労所得の控除の導入
・1913 少額所得者の特別控除の導入
1918年、所得税が国税収入の第1位となった。
【大正時代後期:1920〜25】
第一次世界大戦中の大戦景気の後、戦後恐慌に陥った。そこで、社会政策的な配慮が大幅に取り入れられた税制へと改正された。
・1920 勤労所得控除金額の拡大
・1920 扶養控除の導入
【昭和(日中戦争〜太平洋戦争:1937〜45)】
1940年、戦時体制の中で負担の均衡をはかるために直接税の見直しが行われた。
・所得税が分類所得税と総合所得税に分類された
・扶養控除の中に同居の妻も加えた
・法人の所得を別個に課税することとなった(法人税の創設)
【昭和(戦後の占領下:1945〜52)】
1947年、税制が改正された。
・分類所得税と総合所得税の分類を廃止(超過累進税率への一本化)
・所得税と法人税に申告納税制度を導入
1949年、シャウプ勧告に基づき税制改革が行われた(所得税中心主義・法人税の引き下げ)。
【昭和(高度経済成長:1955〜73)】
所得分割による節税を目的とした「法人成り」が急増する中で、
自民党政権は法人化していない(≒無収入・低収入の妻がいる)農業者・自営業者向けに所得税減税を推進。
同時に、大蔵省主税局が給与所得者向けの減税を目指した。
※累進課税なので、配偶者を家族従業員にして所得分割をした方が節税できる(例:1200万円の所得があった場合、夫900万、妻300万にすれば税率を低く抑えられる)
※配偶者(家族従業員)の協力があってこその所得なのに、法人化すれば税負担を軽くすることができた。一方、給与所得者も配偶者の協力があってこその所得だと言えるが(「内助の功」)、法人化という概念がないため税負担を軽くすることができない・・・という点が問題視された。
議論がなされた結果、「農業者・自営業者と給与所得者の税負担の差を小さくするべき」という理屈から、1961年に配偶者控除が導入された。
高度経済成長期を通じて、与野党による給与所得者の支持獲得争いが行われ、配偶者控除と扶養控除はともに引き上げられていった。
特に社会党などの野党が「給与所得者の減税を!その代わりに大企業への課税を強化せよ!」と主張していた(野党は給与所得者を主な支持層としていたため)。
【昭和(安定成長期:1974〜85)】
1970年代半ばから赤字国債の発行が常態化した。財政難を理由に所得税減税の動きは停滞した。
1980年代に入ると、農業者・自営業者と給与所得者の税負担の不公平さから再び給与所得者の減税が議論されることとなった。
・農業者・自営業者の所得補足率が低い(いわゆる「クロヨン(9・6・4)」)
・農業者・自営業者は法人化・所得分割による節税が可能
また、共働き世帯が増加し、1980年代になるとパート主婦が就労調整を行ったりするパート問題が表面化した。
このような中で、野党(特に公明党)がパートタイマー向けの減税を主張した(パート減税)。
【昭和(円高不況:1986〜87)】
1987年、配偶者特別控除が導入された。
【平成(緩やかな景気回復:2002〜08)】
2003年、法人税減税などを実施するために、財源の一部として配偶者控除制度が縮減された。