【日本史】地方自治の歴史をわかりやすく(明治初期〜戦後初め)

地方自治の歴史をざっくりまとめました!
地方自治のあり方がガラッと変化したタイミングを踏まえて、4つの時期に分けて説明します。
| 明治期 | 中央集権的な地方自治の仕組みが整った時期 |
|---|---|
| 大正期 | 民主化の機運が高まり、ほんの少し中央集権的な特徴が薄まった時期 |
| 戦時中 | 中央集権的な仕組みに逆戻りした時期 |
| 戦後 | 一気に地方分権が加速した時期 |
明治期の地方自治
明治時代は、明治政府が天皇中心の中央集権国家を作ろうとしていた時期(←欧米諸国に対抗できる国になるため)。
そのため、地方自治制度も中央集権的な色が濃かった。
高校日本史の教科書では、地方自治に関する内容(具体例)は3回出てきます。
①廃藩置県の時期
1871年の廃藩置県により、知藩事とされていた旧大名は罷免され東京居住が強制される。地方支配は中央政府が派遣する官僚(府知事・県令)に行わせることに。
=中央集権化が進んだ。
さらに1871年、行政区画として旧来の町村を再編成した大区・小区制を導入。あまりにも画一的な行政区画だったため、不評だった。
※たぶん中央集権国家を急いで作りたかったから、思い切った地方制度にした…ってことだと思う


※1875年以降、地方民情を知るために府知事と県令を集め、地方行政に関する会議を開いた(地方官会議)。←高校の教科書にも出てくる(漸次立憲政体樹立の詔)。
②自由民権運動が盛り上がっている時期
反政府運動(自由民権運動、徴兵制・学制・地租改正への反対一揆)が盛り上がる中で、住民の不満を吸収したり鎮めたりするために地方制度改革が必要になった。
→1878年に地方三新法が制定され、一定の地方自治が認められた。

郡区町村編制法
画一的すぎた大区・小区制から、郡・区や町・村という行政区画に変更。
※区は東京・大阪・京都などの都市部に設けられた。
※郡・区の下に町・村が設けられた。
※町・村には住民参加の議会が認められた。
府県会規則
→地域の有力者の制限選挙によって選ばれる公選制の府県会が設けられた。
※府のトップは府知事。府には府会が置かれた。
※県のトップは県令。県には県会が置かれた。
地方税規則
→府県の財政基盤として地方税を設けた。
③大日本帝国憲法制定の時期
一定の地方自治を認めつつも、内務省の統制下にある中央集権的な地方自治制度が整った。
具体例
- 1888年:市制・町村制
- 1890年:府県制・郡制
※ 山県有朋とドイツ人法律顧問モッセが中心となって制度化
首長の選ばれ方:町村長は「議会による選挙で選ぶ→知事が認可する」という選出方法だったが、、、
- 市長は、「議会が3名推薦→その中から内務大臣が任命」という選出方法
- 府県の知事は、「中央の官僚が派遣される」という選出方法(←たいていは内務省の官僚)。
つまり、、、
町村っていう小さなエリアでは住民の自治を認めて、地域社会を安定させようとした。
その一方で、市・府県という大きいエリアでは内務省が思いっきりコントロールしていた。
※政党勢力の介入を排除
※地方議会の選挙権は市民税納入額によって差別された。等級選挙。
※郡は1921年に廃止された。
※北海道と沖縄は特別扱い
- 北海道:1886年に北海道庁が設けられて植民事業が継続
- 沖縄:旧慣温存策が継続
大正期の地方自治
いわゆる大正デモクラシーの時期で、民主化の要求が高まった時期。
そのため、地方自治においても内務省の統制の色を薄くすることが検討された。
具体例
- 首長を公選にすること、もしくは議会による間接選挙で選出することが検討された
- →結局、知事に関しては変化なし(現状維持)。ただ、市長は市議会による選出に改められた(1926年)。
※地方議会の選挙権が拡張。1926年の普通選挙制の施行を受けて。
このまま首長の選出に住民の意思を反映させる流れが加速するか?と思いきや、、、
戦時中の地方自治
日本は戦争へと突っ走る。中央集権が求められる時代に。
結局、「市長は内務大臣が任命する」ことになって明治時代に逆戻りする。
戦後の地方自治
敗戦後、GHQによる占領のもとで地方分権が加速。
日本国憲法で地方公共団体の首長の公選制が定められたことを受けて、1947年に地方自治法が制定される。住民が政治参加できるようになり、内務省などの中央官庁のコントロールを排除した。
具体例
首長は住民による直接選挙で選出されるようになった。
- 知事が公選になった
- 市町村長が公選になった
1947年:内務省が解体された
















