【日本史】学制とは?わかりやすく:目的・内容・結果

学制の
- 目的
- 内容
- 結果
について説明します!
1872 学制
学制は、明治維新の三大改革のなかの一つである教育改革に位置付けられる政策です!
| 学制(1872年) | 教育改革 |
|---|---|
| 徴兵令(1873年) | 兵制改革 |
| 地租改正条例(1873年) | 税制改革 |


学制の目的
学制の目的は、近代的な学校制度を作ることによって、
- 民衆に「国家を支える国民」としての意識づけをすること
- 民衆の知識レベルを高めて産業を発展させること
です。
民衆に「国家を支える国民」としての意識づけをする
ついこの間まで江戸時代で、江戸時代は各地の大名がそれぞれの地方を治めていたわけなので、当時の人々は「国民」「日本人」っていう感覚をまだそこまで強くは持っていなかったと思います。たぶん「自分は◯◯藩の人間だ」っていう意識の方が強かったんじゃないかと。

でも、欧米諸国の国力を目の当たりにした人々(特に明治新政府のメンバー)は、「日本っていう国をどんどん発展させて、欧米諸国に負けず劣らずの国にしたい!」って考えました。
その時に、日本列島に住む人々がみんなバラバラの感覚・意識を持っているよりは、同じ感覚・意識を共有していた方が強い感じがしますよね。サッカーでもみんな同じユニフォームを着て「俺は◯◯チームの一員だ」っていう感覚・意識を共有するじゃないですか。そんな感じ
ってことで、明治新政府は民衆に「国家を支える国民」としての意識づけをしよう!って考えました。これが学制の目的の1つ目です。

民衆の知識レベルを高めて産業を発展させる
また、教育は国の産業を発展させるうえでとっても重要です。
いろんなことを学び、自分自身で道を切り開いていけるような国民を作ることが、産業の発展を大きく後押しするわけです。それは「欧米諸国に負けない国になる」ということにもつながります。
ってことで、明治新政府は民衆の知識レベルを高めて産業を発展させよう!って考えました。これが学制の目的の2つ目です。

学制の内容
明治新政府は、1871年に文部省を作ったのに続けて1872年に学制を出しました。
- 身分や性別によらず、みんなに等しく学ばせるために(国民皆学教育)
- フランスの学校制度をマネして、近代的学校制度を定めた
- 満6歳の男女の義務教育(小学校教育)に力を入れた
身分や性別によらず、みんなに等しく学ばせること(国民皆学教育)を目指したのですが、画一的すぎる制度で問題がありました。

(以下、覚えなくてOK)
- 全国を8つの区に分ける
- →各区に、大学校を1個、中学校を32個作る
- →各中学校区に、小学校を210個作る
という計画だったとのこと。なので予定では小学校は合計5万3760校作るつもりで、これは当時の人口で約600人に1小学校の割合だったそうです。ちょっとビックリな計画です!
※2021年現在、小学校の数は約2万です。
結局、1879年に教育令が出されて改められることになりました。

学制の結果
学制の結果、日本の教育水準が上がっていくことになったのですが、一方で反対運動が起きてしまうことにもなりました。(学制反対一揆)
学制の内容が現実離れしていて地域の実態に合っていなかったり、さらには学校の建設費が地元の人々の負担だったり、授業料が家庭の負担だったりしたからです。
教育改革って難しいんだなあ…って感じ。

その他の改革はこちら

動画でも解説












