【歴史の教え方】わかりやすくするために、中学教員がすべきこと

歴史の教え方は難しい。
何か工夫したいなとは思うけれど、やり方が思いつかん。結局、歴史を「ただ教える」だけの授業になりがち。

教員がずっと喋ってちゃダメだ。よし、発問だ。「なぜ〜が起きたのだろう?」みたいな問いを投げかけて生徒に考えさせよう!・・・でもこれ、答えは教科書に書かれているんだよなー・・・意味ある・・・?ってなりがち。
一体どうすればいいのだろうか?
「歴史の教え方」で考えること
悩んだ時は問題を切り分けよう。
歴史の教え方を考える。これは、以下の2つの問いに向き合うということだ。
- なんのために歴史を学ぶのか?
- どうやったら生徒が歴史を理解するようになるのか?
どうやったら生徒が歴史を理解するようになるのか?
まず2つ目の問いから考えてみよう。
「教える」は手段
そもそも歴史の授業で「教員が歴史を教える」のは、手段に過ぎない。目標は「生徒が歴史を理解する」ことであって、「教員が歴史を教える」ことではない。
極端なことを言えば、「教員が一切教えることなく、生徒が自ら教科書を使って歴史を学んで理解する」という超・絶ミラクルぅ〜☆が起きれば、それで十分だ。教員は「仕事」をしていないけれど、仕事をしたことになる。
あくまで「教える」は手段。目的ではない。

そんなの言われなくても当たり前だし!わかってるしっ!!って思うかもしれない。でも、ちゃんと意識しておかないと知らず知らずのうちにクソ教員化しかねない。強く意識しよう。
定期テストで壊滅的な結果になった時。「ちゃんと教えたのに。てかここテストに出すよ!って言ったのに。ほんとコイツらダメだ」って生徒に責任転嫁するクソ教員になってはいけない。
いやまあ気持ちはよくわかる。僕も採点しながら、コイツらちゃんと授業聞いてたか?KUSOGAッ !!って何度もブチギレてた。気持ちはよくわかる。でもこれじゃいけない。クソ教員すぎる。
教員の仕事は「教えること」ではなく「理解を実現すること」だ。

ではどうやったら生徒が歴史を理解するようになるのだろうか?
この問いの答えにたどりつくためには、「理解」とは何なのか?を理解する必要がる。
理解とは
理解とは「関連づけ」だ。「結びつける」ことである。
知識・理解は単独で実現するものではない。自分自身が持っている何か(既有知識・スキーマ)と関連づけられ、結びつけられることによって、初めて知識・理解へと昇華するのである。

どういうことか?
例えば、Nasi Gorengを知っているだろうか?
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
初めて見る言葉で、まったく意味がわからないかもしれない。
・・・
・・・
・・・
が、インドネシアやマレーシアで食べられている「ナシゴレン」をカタカナで知っている人は、Nasi Gorengをカタカナ読みした時点で「あ、ナシゴレンのことかな?」って理解できたはず。自分がすでに持っていた「ナシゴレン」という知識とNasi Gorengという新しい語句が結びついたことで理解が実現した。
もし「ナシゴレン」自体を知らなかったとしても、「インドネシアやマレーシアで食べられているチャーハンのことだよ」と聞けば、「あーなるほどチャーハンの東南アジア版ね」と理解できるはず。実際には僕たちがよく食べるチャーハンとは味付けが結構違うんだけれど、漠然と理解はできる。
これも、自分がすでに持っていた「チャーハン」という知識と「ナシゴレン」が結びつくことで理解が実現する事例。

ナシゴレン(Nasi Goreng)は、インドネシア、マレーシアなどで日常的に食べられている、甘辛いスパイシーな「炒めご飯(焼き飯)」です。「ナシ」はご飯、「ゴレン」は炒める・揚げるを意味します。サンバル(唐辛子ペースト)やケチャップマニス(甘い醤油)で味付けし、目玉焼きやクルプック(揚げせんべい)を添えるのが定番です。
Geminiで生成
逆に、「ナシゴレン」も「チャーハン」も「インドネシア」も「マレーシア」も「炒める」も「飯」も何もかも知識として知らなかったら・・・。どれだけ丁寧に説明を聞いても(=教えられても)理解はできない。
1歳児にナシゴレンを理解させるのは難しい。理解に必要な「結びつけられる材料」が1歳児の脳の中にはないから。

まあ1歳児にナシゴレンを食わせて周りの大人が「ナシゴレンナシゴレン」と連呼すれば、味覚や食感と音声の関連づけが起きて「コレガNasi Gorengネ」と徐々に理解していくだろうけれど。
このように、新たな学習内容は自分自身が持っている何か(既有知識・スキーマ)と関連づけられ、結びつけられることによって、初めて知識・理解へと昇華する。


ちなみに、パフォーマンス課題というものがある。「学んだ知識やスキルを実生活に近い文脈(リアルなコンテキスト)で総合的に活用し、成果物や実演で評価する教育課題」のことだ。
パフォーマンス課題も「理解」を実現するための手段の一つと捉えられる。教科書に書かれている知識、理解するべき内容を、実生活と関連づける・結びつけることを強制する。そうすることによって、理解に到達させようとしている。

関連に気づかせるのが教員の仕事
「理解」とは、新しい情報を既有の知識・体験・感覚に接続することである。
これを理解すれば、歴史の教え方も見えてくる。
教員は「生徒一人一人が持っている知識・体験・感覚」と「歴史で学ぶ内容」を関連づければいい、と言えそうだ。

縄文時代、弥生時代、奈良時代、鎌倉時代・・・あらゆる歴史事項を、生徒自身が持っているものに結びつける。ただの「歴史」を、生徒自身にとって手ざわりのあるものにする。
歴史の内容を抽象化すると、生徒自身の体験や感覚と重なる層が必ずある。歴史の教科書に書かれていることは、生徒と同じ「人間」がやったことだからだ。教員の仕事は、その重なりを橋渡しすることである。
・・・何を言っているのか意味がわからない人のために超単純化すると、「なるほど!鎌倉時代の◯◯って、今でいう◎◎みたいなものですね?」って生徒が言うようになればいい。

歴史の教え方を考える際、最も意識することはこれだと思う。言うは易し、だけれども。
目の前の生徒に合わせるのが現場の仕事
でもこれは現場の教員にしかできない。目の前にいる生徒のことをわかっている現場の教員にしかできない。
僕のようなネットで無責任なことを言いまくる人や、授業動画を作ってネットでばらまいている人には、目の前にいる生徒のフィットする教え方はできない。画面の向こうの相手が何を知っていて、何を体験し、何に引っかかりを持っているかがわからない以上、「多くの人にそれなりに届く」程度の関連づけしかできない。くやしい

「個別最適な関連づけ」は、相手を知っている人にしかできないのだ。
現場の教員にはそれができる。目の前の生徒のことを知っている。歴史の内容を生徒個人の文脈にピンポイントで接続することができる。
「理解させる」という仕事において、現場の教員はネットの発信者にはない絶対的なアドバンテージを持っている。
だから頑張ってくれ。現場の教員よ
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・と、抽象論だけ語って「頑張れ」で終わりにするのはさすがに無責任すぎる。
そこで、次は1つ目の問い「なんのために歴史を学ぶのか?」に関連させながら、具体的にどう歴史の授業をすればいいのか?を考えてみたい。
→【歴史の教え方】生徒に何を考えさせればいいのだろう?【中学歴史】
参考文献
鈴木宏昭(2022). 『私たちはどう学んでいるのか ――創発から見る認知の変化』. ちくまプリマー新書.
犬塚美輪(2025). 『読めば分かるは当たり前? ――読解力の認知心理学』. ちくまプリマー新書.
今井むつみ(2016). 『学びとは何か-〈探究人〉になるために』. 岩波新書.
今井むつみ(2024). 『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』. 日経BP.








