【日本史】江戸時代の四つの口とは?わかりやすく

江戸時代の日本は外国とつながる4つの窓口(「四つの口」)を持っていました。
この記事では、その「四つの口」についてササっと説明をします!
※「四つの口」の読み方は「よつのくち」or「よっつのくち」です。僕は「よつのくち」で習いました!
四つの口とは
江戸幕府は、
- キリスト教の禁教と貿易の統制を目的に、
- 日本人の海外渡航と帰国を禁止して、外交・貿易を制限
していました。この禁教・貿易統制のシステムが、いわゆる「鎖国」です。
※「鎖国」がどのように出来上がったのか?については、一つ前の記事で説明しています!→鎖国(絵踏・寺請制度)について
「鎖国」って言うと国を完全に閉ざして外国との接触を完全にシャットアウトしているように思えてしまうのですが、実は江戸幕府は外国とつながる4つの窓口を持っていました。
| 長崎 | 幕府が直接管理。オランダ船・中国船が来航。 |
|---|---|
| 薩摩藩 | 薩摩藩の島津氏が琉球王国を支配。 |
| 対馬藩 | 対馬藩の宗氏が釜山の倭館で朝鮮と貿易。 |
| 松前藩 | 松前藩の松前氏が蝦夷地のアイヌと交易。 |

幕府は一番大事な長崎だけを直接管理(直轄)して、それ以外の3つの窓口は大名に管理を任せました。
(大名には外国と昔からの付き合いがあるので。彼らに任せた方がいい)
四つの窓口を設けた理由
「貿易の利益はほしいけど、キリスト教はいらない」ってのが江戸幕府の本音。国を完全に閉ざしたら貿易の利益をゲットできなくなってしまう。
そこで江戸幕府は「海外との接触を江戸幕府が管理しよう!」って考えた!(→四つの窓口に限定して、直接的・間接的に管理する)

それぞれの窓口について
長崎
幕府が直接管理。オランダ船・中国船が来航。
オランダ人は出島に隔離されましたが、中国人は街中で住むことを認められました。
オランダ商館のトップは1年交替で着任して、そのたびに海外の情報を幕府に伝える義務を負いました。オランダ商館長が口で言った内容を通訳が翻訳して、オランダ風説書っていう書物にまとめて幕府に提出します。




薩摩藩
薩摩藩の島津氏が琉球王国を支配。
琉球王国
- 日本・中国・東南アジアの商品を転売する中継貿易で繁栄。
- →1609年に薩摩の島津氏の攻撃を受けて日本に従うことに。
- →ただ、江戸幕府は琉球王国を独立国ってことにして、引き続き中国の冊封も受けさせるという日中両属状態になった。
※関ヶ原の戦いに敗れた島津氏は、琉球を窓口とした明との貿易の利益に着目した


対馬藩
対馬藩の宗氏が釜山の倭館で朝鮮と貿易。
朝鮮
- 秀吉の朝鮮出兵のせいで関係が悪くなっている。
- →対馬の宗氏に交渉をしてもらって関係が回復。対馬藩が釜山の倭館で朝鮮と貿易。朝鮮は将軍の代替わりごとに朝鮮通信使を日本に派遣。


松前藩
松前藩の松前氏が蝦夷地のアイヌと交易。
蝦夷地(北海道)
- アイヌ民族が暮らす。
- →蝦夷地の南部に領地をもつ松前藩が、蝦夷地でアイヌと独占的に交易する権利を認められた。
- →1669年にアイヌが反発しシャクシャインの戦いが起きたが、アイヌが敗れ、アイヌは松前藩により従うようになった。





まとめ
このように、「鎖国」と言っても、江戸幕府は国を完全に閉ざしたわけではありませんでした!















