香港の地理をわかりやすくまとめた【中学〜高校レベル】

香港について、受験レベルで押さえておくべき知識を踏まえながらざっくりと紹介します。
香港の位置・地形・気候
香港は260以上の島々によって構成されている地域で、中国南部を流れる河川「珠江(しゅこう、Pearl River)」の河口東側に位置しています。
河口を挟んだ対岸には、かつてポルトガルの植民地だったマカオがあります。この珠江をさらに遡った先には、広州という大都市があります。


面積は東京都の約半分、シンガポールの約1.5倍ほどの大きさで、非常にコンパクトなサイズです。この狭い土地の中に約750万人もの人々が暮らしています。
気候は季節風(モンスーン)の影響を強く受けます。夏は海から湿った空気が吹き込むため降水量が多くなり、冬は陸から乾いた風が吹くため降水量が少なくなります。この特徴から、気候区分としては温帯冬季少雨気候(Cw)に属します。



香港はどんな場所?(ざっくり)
香港国際空港
香港の玄関口は、香港最大の島であるランタオ島に建設された香港国際空港です。

香港国際空港へとアプローチする飛行機の窓から外を眺めると、香港が山がちで非常に複雑に入り組んだ地形であることがよくわかります。限られたわずかな平地に高層ビルが密集している光景からは、人口密度の高さが伝わってきます。また、海沿いに広がる巨大なコンテナターミナルも一望でき、ここが世界的な物流拠点であることも実感できます。


香港国際空港は2023年現在、新たな滑走路やターミナルの拡張開発が進められていました。香港国際空港は航空貨物の取扱量において世界トップを争う巨大なハブ空港なので、投資価値が極めて高いのでしょう。

中環(セントラル)
空港から特急電車に乗ると、わずか25分ほどで香港の中心市街地に到着します。
香港の中心部は、香港島北部にある「セントラル(中環)」と呼ばれる金融街です。大手銀行、証券会社、投資ファンド、政府系金融機関などのオフィスが密集しています。
香港はニューヨークやロンドンに並ぶアジア有数の国際金融センター。シンガポールが最大のライバルです。


香港仔(アバディーン)
初めて香港に行った際、香港島北部の反対、島の南側(オーシャンパークの近く)のホテルに泊まりました。香港島の北部よりホテル代が安かったから選んだだけだったのですが、このあたりのエリアが香港の歴史的なルーツを理解できる場所だったことを知り、いい選択をしたなと思います。
香港島の南部に「アバディーン(香港仔)」という港町があります。

「香港」という名前は、もともとは香港島の南部にあるアバディーン周辺の地域のことを表していたそうです。その由来は諸説ありますが、ベトナムなどから持ち込まれた「高木(香木)」を広州へ運び出すための積み出し港として使われていたという説が有力。
ですが、ここを訪れた外国人が「香港」という地名を島全体の名前だと勘違いしたことから、地域一帯の名称として定着した・・・と言われています。

アバディーンに足を運ぶと、香港はどのような場所だったのかが?よくわかります。
香港の山がちで入り組んだ地形は、船が台風を避けるための避難港(台風シェルター)として非常に優れています。香港はもともとは小さな漁村にすぎず、台風の時に近隣の船が避難してくる程度の場所でした。


しかし、この地形的な利便性の価値に気づいたイギリスが、「小さな漁村」である香港を開発し、世界都市にまで発展させることになります。
イギリスによる植民地化
香港はアヘン戦争(1840〜1842年)を機にイギリスの植民地になります。
当時、イギリス国内ではお茶を飲む習慣が大流行しており、清(中国)から大量の茶を輸入していました。
しかし、当時の清は外国との貿易を広東(広州)の1港のみに限定し、「公行(コーホン)」という特権商人を介さなければ取引できない制限を設けていました(広東システム)。イギリス側には関税の決定権がなく、清の役人による賄賂の要求なども横行していたため、強い不満を抱いていました。

さらに大きな問題として、イギリス側には清に売れる有力な工業製品がなかったため、貿易赤字が膨らみ、決済のための銀が大量に中国へ流出してしまっていました。
この状況を打開するため、イギリスはインドを介した「三角貿易」を考案します。
- イギリスは中国から茶を買う
- これだけだとイギリスから銀が流出してしまうので、間にインドをかませる
- 中国に流れた銀を回収するため、インドにケシの栽培をさせてアヘンを作って中国に密輸させる
- 中国からインドの元に流れた銀を回収するため、イギリスはインドに綿製品を売る
これによりイギリスは、銀の流出を抑えながら茶を輸入することに成功します。
しかし、これだけでは「広東システムによる不自由な貿易」という根本的な不満は解決しません。イギリスとしては貿易港を増やし、公行を廃止させ、自国のルールで自由に商売を行いたいと考えていました。
そんな中、アヘンの蔓延を深刻に受け止めた清の政府が密輸の取り締まりを強化したため、イギリスはこれを口実に戦争を仕掛けました。これがアヘン戦争です。その際、戦争の現場指揮官だったチャールズ・エリオットが拠点としたのが香港島でした。


戦争に勝利したイギリスは、1842年の南京条約によって上海など5港を開港させ、同時に香港島を割譲させます。
1842 南京条約
- 香港島の割譲
- 上海・寧波・福州・厦門・広州の5港の開港
- 賠償金の支払い

香港島
面白いなと思ったのが、当時の清にとって香港島はそれほど重要な場所ではなかったという点です。香港は辺境にある小さな漁村に過ぎず、「イギリスを追い払うためなら、あんな価値のない島くらいくれてやってもいい」という認識だったそうです。
また、イギリス政府にとっても香港島はそれほど重要な場所ではありませんでした。イギリスにとって「第一志望」の場所だったのは、上海に近い舟山諸島などであり、当時の香港は「岩だらけの荒れ果てた島」という評価だったようです。万が一のトラブルの際の避難所や、荷物置き場程度にしか考えていなかった。
しかしイギリスはやがて、香港島と対岸の九竜半島の間に広がる水路が、大型軍艦や商船が停泊しやすい水深の深い「天然の良港」であることに気づきます。

イギリスはこの海域を「ビクトリアハーバー」と名付け、当時ほとんど人がいない丘陵地帯だった現在のセントラル周辺に倉庫やオフィスを建て、臨海都市「ビクトリア」として開発を始めました。
香港島にビクトリアハーバーを一望できる展望台があります。ビクトリアピークです。ここは絶対に行くべき。
夜景がキレイなことで有名なので夜に行く人が多いかと思いますが、明るいうちに行った方が香港の地形がよくわかって面白いと思います。


九竜半島
アヘン戦争に続き、1856年にはアロー戦争(第二次アヘン戦争)が勃発します。この戦争の結果結ばれた北京条約(1860年)によって、イギリスは香港島の対岸にある「九竜半島南部」も獲得します。

現在の九竜半島南部は、金融街がある香港島とは対照的な、極めて活気のある繁華街となっています。中心を走る目抜き通り「ネイザンロード(彌敦道)」周辺には、商店やレストランが密集しています。

コンテナ港
このエリアにある展望台「スカイ100」からは香港の街並みをしっかり観察することができます。ここも行くべき。入場料は結構高いけど。

また、香港の経済発展を牽引してきた巨大なコンテナターミナルもはっきり見ることができます。

香港のコンテナ取扱量はかつて世界一でした(1987年から2004年まで)。
なぜ世界一だったかというと、1970年代末に中国本土が改革開放へと舵を切り、工業化を進める中で、香港の背後に位置する広州などの華南地域が「世界の工場」の中心地として急速に発展したからです。中国本土で製造された大量の製品が香港の港を経由して世界中へ輸出されたため、香港の物流は全盛期を迎えました。
しかし現在では、深圳や上海など中国本土の港湾インフラが急速に発達したため、その機能の多くを本土側に譲りつつあります。
経済格差
九竜半島を歩くと、香港が抱える深刻な経済格差という「影」の部分も見えてきます。
例えば、香港の秋葉原とも呼ばれるエレクトロニクス街「深水埗(シャムシュイポー)」周辺は、香港の中でも特に所得水準が低い層が集まる住宅エリアです。

香港は土地が極めて狭く地価が高騰しているため、生活に困窮した人々が地上にスラムを形成するスペースがありません。その結果、古い雑居ビルの屋上にトタンや簡易的な小屋を建てて暮らす、特異な「屋上スラム」が形成されていきました。

また、かつて九竜半島には、無法地帯として世界的に有名だった巨大な高層スラム街「九竜城砦(きゅうりゅうじょうさい)」が存在していました。迷路のような違法建築が複雑に重なり合い、犯罪や麻薬取引の温床となっていた場所です。
現在はすべて取り壊され、その跡地は歴史を伝える公園として整備されていますが、こうした過酷な住環境や格差の歴史は、香港という社会を理解する上で外せない側面です。あとで詳しく説明します。



新界
1898年、イギリスは日清戦争で清が弱体化した好機を捉え、香港島と九竜半島よりもさらに北側の広大な陸地と周辺の島々を、99年間の期限で借り受けることに成功しました。この地域を「新界(ニューテリトリー)」と呼びます。
1997年に香港が中国へ返還されたのは、この新界の租借期限が切れるタイミングに合わせたものです(1898+99=1997)。

深圳に隣接
この新界のさらに北側、香港と中国本土の境界を越えた先には、中国の「経済特区」として驚異的な発展を遂げた都市、深圳(しんせん)があります。
中国政府が改革開放政策を進める際、最初の経済特区としてあえてこの何もない漁村だった深圳を選んだのは、「香港に隣接しているから」という明確な狙いがあったためです。

世界中からヒト・モノ・カネが集まる自由主義・資本主義の香港と隣り合わせにすることで、香港を通じて世界中の外資や先進技術を中国本土へと呼び込む。そして、呼び込んだ資金を使って深圳を最先端の生産拠点として発展させ、製造された製品を再び香港の優れた港湾インフラから世界へ輸出する。こうした高度な相互補完関係を狙って、深圳が開発されました。
香港という巨大な国際金融・物流センターがすぐ隣にあったからこそ、現在の深圳の脅威的な発展があり、ひいては中国全体の経済成長が実現しました。
観光業
新界のランタオ島には、香港国際空港だけでなく、香港ディズニーランドがあります。近年、香港は観光業にも力を入れています。

また、ランタオ島からは対岸のマカオ(カジノの街)と香港を洋上で直結する巨大な「港珠澳大橋(こうじゅおうおおはし)」が通じており、陸路のシャトルバスを使ってわずかな時間で往来できるようになっています。

もっとくわしく
以上が、香港のざっくりとした全体像です。これくらいのことを理解しておけば、観光する際にも、高校受験や大学受験の際にも十分な知識として役立つと思います。
noteでは現在の香港について、もっと解像度高く理解できるように解説しています。ぜひ!

参考文献
遊川和郎(2017). 『香港 返還20年の相克』. 日本経済新聞出版.














