「学校には行かなくてもいい」は本当?
少年革命家ゆたぼんさんの「学校には行かなくてもいい」っていう主張について改めて考えてみたいと思います。
我ながら話題にするの遅すぎ・・・
学校には行くべきなのか?
それとも学校には行かなくてもいいのか?
それぞれの立場に関して、よく指摘されることはこちら↓
学校に行くべき!派の主張
- 異なる背景や文化を持つ他の生徒と交流し、社会的なスキルを発展させる機会を得ることができる
- 多様な経験を積むことができ、興味や才能を発見できたり、成長したりできる
- 専門性が高い教員からの指導や、図書館などの学習リソースを活用することができる
学校に行かなくてもいい!派の主張
- オンライン教育の普及により、学校に通わずに自宅で学習することができるようになった
- 学校の伝統的な教育方法よりも個別指導や別の学習プログラムの方が効果的な場合がある
- 学校に通うことが健康上の問題を引き起こすことがある
あなたはどっち派?
★★★
僕は「別に学校には行かなくてもいいんじゃない?」って思っていました。
僕自身、公立中学校で教員として働いた経験があるんですけど、「学校での伝統的な教育方法」=集団授業はやっぱり非効率的。
オンライン教育が普及した現代において、わざわざ学校に集まって「みんなで」勉強する必然性はないよね!
そう思っていました。
実際、自分が所属していた学年に不登校の生徒(←学校に行くことを望んているわけではなさそう)がいた時、「別に無理して学校に来る必要はないよな」「なんで校長は不登校をなんとしても解決しようとするんだろう?意味わかんないなー」って思っていた。
が、最近は「基本的に子供は学校に行くべき」という考えに変わりました。
もちろん「学校に行くのがつらい」と子供本人が思うのであれば、無理して行く必要はない!ってのが大前提です。
でも、「子供は学校に行くのが普通」っていう現代の常識はやっぱりこれからも維持するべきなのかなと。
なんでかというと、「子供は学校に行くのが普通」っていう価値観は”毒親”を発見しやすくなることにつながると思うからです。
学校はいわゆる毒親から子供を守るための機関としてすごく大事。
学校での子供の様子を見た教員が「もしかして虐待されている・・・?」って疑うことができたり、
(例えば体育の着替え中にアザがある○○君の体を見た)生徒が「○○君が変なんです・・・」って教えてくれたりします。
確かに、学校での教育には様々な課題・問題があります(いじめとか、授業の質が低い・・・とか)。
でも、学校は家庭で虐待(体罰、ネグレクトなど)を受けている子供を発見できる機関として機能します。ある意味、学校は家庭から子供を守る最後の砦と言える。
ところが、もし「学校に行かなくてもいい」ってのが常識、普通のことになってしまうと、
「うちの子は学校には行かせません。自分たちで教育します(or 学校以外の形式で教育を受けさせます)。」っていう家庭の子供いた時に(いわゆる不登校の場合に)、
「この家庭には何かあるのかも…?」って疑うことが難しくなってしまう。
子供の不登校が特別なことではなくなってしまうからです。
もちろん、親が毒親ではなく子供を不幸にしない形で教育を受けさせるのであれば何も問題ありません。そして実際には不登校の場合でもそういうパターンの方が多いのかもしれません。
でも、もし親が毒親だった場合、、、
その危険性を考えると、なんだかんだで「基本的に子供は学校に行くべき」という価値観を社会で共有した方がいいのでは?とモチオカは思うのです。