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アパレル産業の歴史をわかりやすく

モチオカ(望岡 慶)
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〜19世紀前半:手工業の時代

衣服は長らく自家製か、仕立て屋による完全オーダーメイドだった。布地は高価で、服は財産として受け継がれるもの。職人が一着一着手で縫い、大量生産という概念は存在しなかった。

18世紀後半〜19世紀:産業革命

産業革命期における紡績機や織機の発明は、それまで家庭内や小規模な工房で行われていた手作業による繊維生産を、機械化された工場での大量生産へと移行させた。

トヨタ産業技術記念館(2022.12撮影)

布地の生産コストが劇的に下がると、次は「縫う」工程の機械化が課題となった。ミシンの実用化(エリアス・ハウ、1846年)とその後のシンガー社による普及が、この課題を解決した。

国立民族学博物館(2025.9撮影)

縫製作業が効率化されたことで、衣服は「一点ものの手作り品」から「標準化された工業製品」へとその性格を変えていった。

パリの「ボン・マルシェ」(1852年開業)などに代表される百貨店が誕生し、決まったサイズの服を店頭で選ぶ「既製服(レディ・トゥ・ウェア)」の文化が広がった。

かつて上流階級が仕立て屋に依頼して独占していたファッションという特権は、既製服の普及によって大衆化され、広範な消費者が「服を選ぶ」という行為を通じて自己のアイデンティティを表現することが可能になった。

19世紀後半〜20世紀初頭:オートクチュールの確立

大量生産による既製服の普及とは対照的に、パリでは全く別の動きが起きていた。

イギリス出身のデザイナー、シャルル・フレデリック・ウォルトが1858年にパリでメゾンを開業し、高級注文服「オートクチュール」の原型を確立した。デザイナーが主役となる「ファッションハウス」が次々と誕生し、パリが世界のファッションの中心地として君臨するようになる。

1910〜40年代:モードの時代、既製服の普及

20世紀に入ると、ファッションは単なる製品以上の意味を持つようになる。ジャーナリズムの発達と通信・交通インフラの整備により、パリやニューヨークで生まれた最新のスタイルが「トレンド」として世界中に伝播する「モードの時代」が到来した。

特に第一次世界大戦(1914〜18年)を経て、女性の社会進出が加速したことは、ファッションのシルエットに劇的な変化をもたらした。ココ・シャネルに代表されるデザイナーが、コルセットからの解放を提唱し、ウール・ジャージー生地やツイードといった実用的な素材を婦人服に取り入れた。

1950〜70年代:大衆化と化学繊維の普及

第二次世界大戦後、ファッションは特権階級のものではなくなり、自己表現の手段へと変わった。高級注文服(オートクチュール)に代わり、質の高い既製服(プレタポルテ)が市場の主役に躍り出る。

化学繊維の誕生と普及は、アパレル産業の供給能力を飛躍的に拡大させた。アメリカのデュポン社がナイロンを1938年に商業化(翌39年にストッキングとして発売)したのを皮切りに、ポリエステルやアクリルといった合成繊維が1950年代以降に工業化された。

日本では帝人や東レがポリエステルの製造を開始し、アパレルメーカーと連携したマーケティング活動によって急速に普及した。

※戦後の日本では洋服は家庭内で作られることが多く(洋裁ブーム)、既製服の生産は一般化していなかった。1950年代後半から既製服のサイズ規格が整備され、消費者が既製服を受け入れる土壌が形成された。

トヨタ産業技術記念館(2022.12撮影)
トヨタ産業技術記念館(2022.12撮影)
トヨタ産業技術記念館(2022.12撮影)

1970〜90年代:グローバル化と多様化

生産拠点が賃金の安いアジア(日本→韓国・台湾→中国)へと移転した。ZARAやH&Mなどのファストファッションの原型が登場した時期でもある。

日本では、円高の進行によりアパレル商品の輸入が急増した。欧米からは高級品が、アジアからは低価格品が入ってくるようになった。それまで商社やアパレルメーカーが仲介していた海外ブランドが日本市場に直接参入する事例も現れ始めた。

一方で、この時期は日本発のクリエイティブな動きも世界を驚かせた。川久保玲(コム・デ・ギャルソン)や山本耀司が1980年代にパリコレに進出し、それまでの西洋的な美の規範とは全く異なる「黒・非対称・解体的」なスタイルで世界のファッション界に衝撃を与えた。

1990年代〜2010年代:SPAモデルと「ファストファッション」の台頭

自社で企画・製造・小売りを一貫して行うSPA(製造小売業)型企業が誕生し、中間コストを削ぎ落とすビジネスモデルが業界構造を変えた。

GAP、ZARA、H&M、ユニクロはその代表例である。ZARAは「トレンドを2週間で店頭に出す」サプライチェーンを確立し、ファストファッションの象徴となった。

Stockholm, Sweden(2026.2撮影)
Stockholm, Sweden(2026.2撮影)

2001年の中国WTO加盟がさらに後押しし、生産拠点の中国移転が一気に進んだ。低賃金国での大量生産と物流の高速化により、「安くてトレンドを押さえた服」が短期間で店頭に並ぶようになった。

しかし、消費者にとっての利便性が向上する一方で、さまざまな問題が発生した。

消費サイクルが加速し、ファッションの民主化が進む一方で、過剰在庫の問題も顕在化した。

2013年、バングラデシュのラナ・プラザ崩壊(死者1,100人以上)により、アパレルの劣悪な生産環境が世界に知られることになった。

また、ハイブランドの「Made in Italy」「Made in France」というブランド価値についても、この時期に実態との乖離が問われるようになった。イタリア国内の工場であっても、中国から輸入した半製品に最後の仕上げのみを施して「Made in Italy」のタグを付ける手法や、イタリアに移住した中国系移民による低賃金工場(イタリア国内のスウェットショップ)の問題が表面化した。

2020年代〜現在:持続可能性の模索

現在は、これまでの「大量生産・大量消費」に対する反省と、テクノロジーによる変革の時代。劣悪な労働環境や環境負荷への批判が高まり、「どんな服を、どう作り、どう売るか」が問われるようになっている。

参考文献

戦後の洋裁ブーム 女性が伝統の束縛から解放される(日本経済新聞)

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