日本

【日本史】江戸初期の外交をわかりやすく(糸割符制度・朱印船貿易)

モチオカ(望岡 慶)

この記事と次の記事で、江戸時代の対外政策について話をします。

江戸時代の対外政策についてまとめると、こんな感じ。

  1. 江戸幕府は貿易をして利益をゲットしたかった
  2. でも、キリスト教が厄介だった
  3. そこで、いわゆる「鎖国」と宗教政策を行った
  4. 誤解されがちだけど、「鎖国」は国を完全に閉ざしたわけではない

この記事では①(糸割符制度、朱印船貿易など)について説明します!

もちおか
もちおか

モチオカです。noteTwitterYouTubeやってます!【お問い合わせ自己紹介

江戸幕府は貿易をして利益をゲットしたかった

江戸幕府は外国と貿易をしたいと思っていました。

貿易っていうのは「ある国と別の国との間で物を売ったり買ったりすること」。

江戸幕府の貿易に関する登場人物を整理するとわかりやすいと思うので、登場人物について説明します。

江戸幕府外国と貿易をしたいけど、幕府の支配を揺るがしかねないキリスト教は厄介だと思っている。

江戸幕府から見た印象↓

ポルトガル中国産の生糸を売ってくれるので助かる存在だけど、キリスト教の布教もする困ったヤツ。南蛮人。
スペイン秀吉の頃の事件によって関係悪化。貿易と一緒にキリスト教の布教もする困ったヤツ。南蛮人。
イギリスポルトガル・スペインに対抗して新しく進出してきた。キリスト教の布教をゴリゴリにしてくるわけではなかった。紅毛人。
オランダポルトガル・スペインに対抗して新しく進出してきた。キリスト教の布教をゴリゴリにしてくるわけではなかった。紅毛人。
中国最大の輸入品である生糸の生産国秀吉の朝鮮出兵のせいで関係悪化していた。
朝鮮秀吉の朝鮮出兵のせいで関係が悪化していた。お隣の国。
蝦夷地(北海道)アイヌ民族が暮らす。まだ「日本」ではない。
琉球王国(沖縄)日本・中国・東南アジアの商品を転売する中継貿易で繁栄していた。まだ「日本」ではない。

江戸幕府はキリスト教が厄介だなと思いつつ自分の国では手に入らない物を手に入れるべく、貿易を積極的に行おうとしていました。

ポルトガル船が中国産の生糸を独占

最初の頃は、ポルトガル船との貿易がほとんどでした。(南蛮貿易

【日本史】南蛮貿易をわかりやすく:なぜポルトガルは中継貿易を行った?
【日本史】南蛮貿易をわかりやすく:なぜポルトガルは中継貿易を行った?

ただ困ったことに、最大の輸入品だった中国産の生糸の取り引きはポルトガル船がほぼ独占していました。(ポルトガル船からじゃないと買えない状況ってこと)

これの何が困ったことなのかというと、独占が起きると価格が高くなっちゃうことがあるということ。

例えば、中国産の生糸を2つの国の船が持ってきてくれていたら、自分の国から買ってもらうために生糸の値段を安くしたりしてくれるんですけど、中国産の生糸を持ってきてくれる国が1つしかなくて他に競争相手がいなかったら、「うちからしか買えませんぞ?」って感じになって、値段を安くする必要ってなくなるんですよね。

これは困った。

糸割符制度

ってことで、江戸幕府は対策をしました。それが糸割符制度です。(1604年)

これは、特定の商人がグループ(糸割符仲間)を作って、そのグループが一括して生糸を買うっていう制度です。

こうすることで「この値段じゃなきゃ生糸は買いませーん!」ってみんなで言うことができて、ポルトガルが生糸を高い値段で売りにくくなります。

「この値段じゃなきゃ生糸は買いませーん!」ってみんなで言わないと、ポルトガル商人は困らない。なぜなら、ポルトガル商人からしたら「高い値段でも買ってくれる人がいるからそれでOKよ〜」って感じになるから。結局、値段も下げない。

でも「グループが一括して生糸を買いますよ」ってなったら、ポルトガル商人は値段を下げざるを得ません

ポルトガル商人にとっては不満な政策ですけど、江戸幕府はポルトガルとの貿易を管理し、うまく立ち回ろうとしたということです。中国産の生糸を安く手に入れるために。

このように、江戸幕府は生糸をなるべく安く手に入れる工夫をしました。

いろんな貿易ルートの確保

とはいえ、ポルトガルとの貿易だけに頼るとリスクが高いですよね。ポルトガルと貿易ができなくなったら困ります。

そこで、江戸幕府はいろんな貿易ルートを確保しようとしました

そのことを表している具体例を4つ説明します。

秀吉の朝鮮出兵のせいで関係が悪化した明と、関係を回復させようとした

→朝鮮や琉球王国に協力してもらって国交回復を目指したが、明から拒否された

スペインとの貿易にも意欲的にチャレンジしようとした

→ルソン(フィリピン)とノビスパン(メキシコ)を往復するスペイン船の貿易ルートに着目して、スペインと貿易しようとした(慶長遣欧使節)。

が、スペインは消極的で実現せず

朱印船貿易を行った

→幕府から渡航を許可する朱印状を与えられた船が、東南アジア地域で貿易を行った(直接買いに行ったってこと)。銀を輸出して中国産の生糸を輸入。朱印船貿易の結果、外国に日本町ができた。

なぜ朱印状を発行した?

  • 「この船は日本の権威者(江戸幕府)が許可した正式な貿易船ですよ!海賊(倭寇)や密貿易の船じゃないですよ!だからしっかりと保護・対応してください!」って相手に示すため。

オランダ・イギリスと貿易をした

→ポルトガル・スペインに対抗して新しく進出してきたオランダ・イギリスとも貿易を行った。ただし、キリスト教の布教を行わないことを条件とした。

とにかく、江戸幕府はものすごく積極的に貿易をしようとしていたということです。

動画でも解説

より深く理解したい人へ

日本と中国の貿易史のポイント

もちおか
もちおか

最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事、悪くないな、結構いいなと思っていただけた方はSNSでのシェアなど、お願いします!

Xnoteもやっています。ぜひフォローお願いします!

記事URLをコピーしました