佐賀2泊3日旅行記①(呼子、名護屋城)【2022年5月】
2022年5月に佐賀に行ってきました。
旅行の様子をメモっておきます!
1日目
8:00 羽田空港 発
いざ佐賀へ出発!(JAL:26,600円)
※福岡空港に降りてから電車で佐賀に行きます
9:50 福岡空港 着
初めてゴーアラウンド(着陸復行)を経験。怖かったー
呼子に移動
福岡空港から福岡市営空港線で筑前前原駅に行き、
筑肥線に乗り換えて西唐津駅へ(1,290円)
途中、日本三大松原の一つ「虹の松原」が見えました。江戸時代に防風・防砂のためにたくさんの松が植えられた場所。
西唐津駅からバスで呼子駅へ(710円)
呼子
到着!
玄界灘に面した呼子(よぶこ)は漁業がとても盛んな場所。
海産物のなかでも特に有名なのがイカです!
リアス式海岸に位置する呼子にはイカ活造りの店がたくさんあります。呼子のイカを食べるために多くの人が訪れるのだとか(僕もその一人でした)。
河太郎
今回僕が訪れたのは「河太郎」というお店。平日だったのにむっちゃ混んでました(約50分待ち)。
店内に大きな水槽があります。
本当はここでたくさんのイカが泳いでるらしい(この日はいなかった)
いか活造り定食(3,300円)
まだイカが生きている・・・
食べてビックリ!味が濃くてむちゃくちゃおいしい!!すごい!!!
最初は「3,300円かーちょっと高いな」って思ったけど、十分にその価値があります!
ほぼ死んでいるのに、赤いプチプチが動いててちょっと気色悪い。
終盤、店員さんに胴体の部分を持ち去られ、、、
変わり果てた姿で再会(胴体の部分を天ぷらにしてくれる)
これがむっちゃおいしかった!
大満足!河太郎が超混雑している理由がよくわかりました!
呼子はアクセスが悪くてなかなか行けるところじゃないけど(←生きているうちにあと何回行くだろう・・・)、呼子に行ったらまた食べたい。
公式ページ:元祖いか活造り「河太郎」呼子店
ジャンボタクシーで呼子に戻り(200円)、
ジャンボタクシーでハワイから来た日本人夫婦と一緒になったんですけど、「呼子のイカは絶対食べてみたかった。だから佐賀に来たと言っても過言ではない!」的なことを言っていました。すげー。
お二人ともすごく良い雰囲気の人で、「良い年の取り方してるなー、こんなおじさんになりたいなー」って思いました。話しかけてくれてありがとうございました。
またまたジャンボタクシーに乗って名護屋城へと向かいます(200円)
佐賀県立 名護屋城博物館
名護屋城に到着!まずは名護屋城に併設されている博物館で勉強します。
この博物館のテーマは原始・古代から近現代に至る「日本列島と朝鮮半島の交流の歴史」。
豊臣秀吉の朝鮮出兵について学ぶならここ!って感じ。
ちょうどウクライナ侵攻の時に行けて良かったかも。
これ無料でいいの?って思っちゃうくらい充実した博物館でした!ここは本当におすすめ!
名護屋城のこともくわしく学べる博物館なので、名護屋城跡を見学する前に行くべし
バスの本数が少ないので、帰りのバスの時間のチェックも忘れずに!(受付で確認できます)
見学所要時間は30〜60分くらい。サイズ感が絶妙。物足りなさも疲れも感じませんでした!
特に面白かったのが朝鮮と豊臣秀吉との間で板挟みになった宗氏の話。歴史ってほんと面白いなーって改めて思いました。
疑問
朝鮮通信使って秀吉の出兵があったから?たまに使いを送って友好関係を築けるなら安い出費だよね・・・的な?
公式ページ:佐賀県立 名護屋城博物館
名護屋城
次は名護屋城の見学。名古屋城じゃなくて名護屋城。
佐賀県唐津市にある城。豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して出発拠点として築かれた城です。
秀吉の野望と、野望が打ち砕かれた様子が感じられる城で、結構面白い城だと思いました!
豊臣秀吉の朝鮮出兵
この城を作った豊臣秀吉は、東アジアの中心とされていた中国(明)が衰えている中で、「日本を東アジアの中心にするぞ!」って考えて明を征服しようとした
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明に出兵するために朝鮮に対して「協力しろよ」って求めた
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ところが朝鮮がこれを拒否!
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秀吉は名護屋に本陣を築いて1592年に15万人余りの大軍を朝鮮に派兵(これが朝鮮出兵の1回目:文禄の役)
- 戦争で日本は苦戦(朝鮮の抵抗や明の援軍などにより)
- 現地の日本軍は休戦して秀吉に「仲直りしてください!」って求めたが、秀吉が強硬な姿勢を取り続けたため、交渉は決裂
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1597年に秀吉は2度目の出兵(慶長の役)
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結局、途中で秀吉が病死したため、「もう戦いは終わりだ!よかった!」ってことになって、朝鮮出兵は終了しました
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朝鮮の人々に多くの被害を与え、日本は戦費と兵力を無駄にして消耗
この名護屋城は5層の天守を備えていたらしいです。
そして何より、朝鮮出兵のために全国の諸大名たちが集められて、人口20万人を超える大きな都市ができた…!っていうから驚き。
実際、かなり大きな城で全部回るのは大変です。大坂城につぐ規模を誇った城だったらしい。
全国の諸大名たちは名護屋城の周りに陣地を築いたので、今でも名護屋城の周りにはたくさんの陣跡が残っています。
朝鮮出兵のために新しくできた大都市は、秀吉の病死と朝鮮出兵の終了によって7年間でその役目を終えたとのこと。
結局、江戸時代に廃城となり、名護屋城の建物は15kmほど離れた唐津城に移築されたみたいです。
ということで、ここには石垣以外なにも残っていないわけです。
廃城になった後に、一揆などの立てこもりを防ぐ目的で要所の石垣が破壊された。石垣の隅の部分と最も上部に積まれた部分を壊しておくと、この上に建物を建てることが難しくなるのだとか。
って感じで、ぜひぜひ名護屋城を歩きながら秀吉の野望と野望が打ち砕かれた様子を感じ取ってみるべし!!!
名護屋城に行って、呼子のイカを食べて、唐津城に行く!ってのが、おすすめの観光の仕方です!
疑問
名護屋城を作る意味とは?朝鮮が日本に攻めてきた時のためってこと?それとも日本国内からの攻撃から守るため?
公式ページ:名護屋城とは
唐津に移動
名護屋城博物館入口からバスで唐津駅に移動(850円)
オデカフェ(Odecafe)
バスターミナルにあったおしゃれなカフェで休憩(660円)
唐津第一ホテル
今日は唐津第一ホテルで宿泊(6,000円)
おやすみなさいー