元寇防塁を実際に見てきました!【2022年3月】
2022年3月に福岡県の元寇防塁を見てきました。
その旅行記をブログ記事として残しておきます!
元寇防塁とは
引用:Wikipedia
元寇(蒙古襲来)に備えて築かれた防塁
元寇防塁が造られた理由
13世紀に、チンギス=ハンっていう人がユーラシア大陸の東西にまたがる大帝国を作り、そのチンギス=ハンの孫であるフビライっていう人が、中国を支配するために国の名前を元としました。
で、中国を支配した元が日本に「俺の子分になれよ!」みたいな要求をしてきた。
その要求を日本の政治のトップだった北条時宗っていう人が拒否したんです。
その結果、1274年に元が攻めてきた!約3万の兵がやって来たようです。
九州北部の博多湾に上陸してきた元の軍隊とバトル(文永の役)が起きて、日本はかなり苦戦したようです。
結局、元は自主的に撤退したのですが、その後の日本は「次いつ侵攻してくるかわからない」っていう危機感を抱きます。
そこで、博多湾岸などに、元軍の上陸を阻止するための石の壁(防塁)を作ったりしたんです。これが元寇防塁。
元寇防塁の観光をしました!
生の松原(いきのまつばら)の元寇防塁
JR九州筑肥線「下山門(しもやまと)駅」の近くの生の松原(いきのまつばら)に、元寇に備えて築かれた防塁が残っています。
踏切を越えて、
林の中を抜けて、
だいたい10分くらいで博多湾に到着!
最初「これが鎌倉時代に作られた防塁?」って思ったんですけど、そんなわけありませんでした笑
朝8時台だったからなのか不人気の場所だったからなのかわかりませんが、人が誰もいなくてちょっと怖かったです。
しばらく(5分くらい)歩くと、元寇防塁を発見!これかー!
これがモンゴル軍の侵攻を恐れた鎌倉幕府が作らせた防御施設。
1回目のバトルから8年後の1281年、元が再び日本にやってきたんですけど(弘安の役)、この石の壁がかなり活躍したらしいです。
『蒙古襲来絵詞』には竹崎季長がこの地で戦う姿が描かれています。
※生の松原の元寇防塁は復元されたものとのこと。
この海の向こう側からいきなり他国の軍が攻めてきたら、むっちゃ怖いですよね。。。
ちなみにこの防塁の構造は、海側が石の壁で、陸側が土の壁となっています。
単に石塁があるだけの場所で、展示室のようなものはありません。なので所要時間は10分くらいかなと思います。
西新地区の元寇防塁
福岡タワーの近くにある元寇防塁跡を見に行きました!
だいたい福岡タワーから徒歩20分くらいの場所。福岡市地下鉄空港線の「西新(にしじん)駅」からは徒歩10分くらいです。
石塁の上部を露出させて展示されているとのこと(←防塁は、しばらくすると管理されなくなって砂に埋もれていった)。この防塁は復元されたものではなく、当時のものっぽいです。
この防塁は生の松原の防塁と違って海岸から離れた内陸部にありますが、それは埋め立てによって鎌倉時代当時よりも海岸線が沖へ延びているためです。
交差点に「防塁」っていう名前がついています。歴史を感じるー