日本史の教科書に載ってた太宰府の水城を見てきた【2022年3月】
2022年3月に水城館に行ってきました。
その旅行記をブログ記事として残しておきます!
水城とは
水城は福岡県に築かれた日本の古代の城。
長さ1.2km、幅80m、高さ10mの土塁と、内外に水をためた濠からなり、福岡平野の最も狭くなった場所をふさぐように築造された。
『日本書紀』に「・・・。また、筑紫国に大堤(おおつつみ)を築き水を貯へしむ、名づけて水城(みずき)と曰ふ」と記載された城です。
土塁がある場所は、今では木が生い茂っています。
水城が造られた理由
663年の白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗北した後、防衛体制を整備する必要があった。
7世紀半ば、日本は朝鮮半島の中の百済っていう国と仲良くしていたが、その百済が唐と新羅に攻められて660年に滅ぼされてしまった。
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百済復興を目指す旧百済勢力を支援するために日本は大軍を派遣。663年に唐と新羅の連合軍と戦った(白村江の戦い)。
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この戦争で日本は大敗北(→新羅が朝鮮半島の支配権を確立し、676年に朝鮮半島を統一)。
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敗戦を受け、日本は「いつ海の向こうから唐と新羅が攻めてくるかわからない」という緊張感のもと、防衛体制を整えた。
「唐や新羅が上陸するとしたら九州のはず…」
- 九州に外交・防衛上の拠点として大宰府を整備
- 大宰府の西北に水城を築造
- 周囲の山に大野城・基肄城という朝鮮式山城を築造
- 九州北部の沿岸警備のために防人を配置
水城へのアクセス
電車の窓から見る方法
太宰府天満宮へと向かう電車(西鉄天神大牟田線)の途中で、水城の跡を見ることができます。
下大利(しもおおり)駅と都府楼前(とふろうまえ)駅の間。
西鉄福岡(天神)から太宰府天満宮に向かう途中に見る人が多いと思うので、「下大利駅を出たらすぐ!」って覚えておくといいと思います。電車の窓の左からも右からも見ることができます。
歩いて見に行く方法
僕は都府楼前(とふろう まえ)駅から歩いて行きました(約20分)。1本道なので迷わずに行けます!
バスで見に行く方法
太宰府市コミュニティバスまほろば号の「特別史跡水城跡東門前」バス停で下車。
レンタサイクルで見に行く方法
僕は利用しませんでしたが、太宰府駅でレンタサイクルを借りて自転車で見に行くこともできます(1日500円)。
水城館と大宰府政庁跡の両方を見学したい人は、太宰府天満宮から自転車で行くのがおすすめかも(返却は都府楼前駅でもできます)。
水城を観光してきました!
こんな感じで、木が一列に並んで生い茂っています。
博多湾側から見た水城。
僕は日本の歴史をガッツリ勉強したので、「これが教科書に載っていた水城か…!」って感動したんですけど、歴史に興味がない人には全然面白くない場所だと思います(笑)
水城館
水城跡の横に水城館という展示室があります。
まずは「続100名城スタンプ」のスタンプを押しました!
水城館では、水城に関する映像を見たり、パネルやレプリカ資料を見たりすることができます。
これが水城の模型。こんな感じで土塁の両側には水がたまっていたらしいです。
水城館の所要時間は、ガッツリ見るなら30分くらい、軽く見るだけなら10分くらいかなーって感じ。
展望台
展望台に上がると、この水城が博多湾から大宰府と至るルートの途中にあることがよくわかります。
※大宰府=九州に置かれた外交・防衛上の拠点
水城館があるこの場所は、かつての水城の東門側にあたります。水城の西門側は「水城ゆめ広場」という場所付近にあります。
官道
東門ルートは博多につながっていて、都から大宰府への官人赴任ルートと見られています。
これが古代の役人たちが通った官道。
今から、この道を通って大宰府政庁跡へと向かいます!
水城館は30分くらいでサクッと終わらせるつもりが、1時間も使ってしまいました。それくらい(僕にとっては)面白い場所でした!
水城館に行って考えたこと・疑問に思ったこと
大宰府から港(博多)に至るルートが、昔は官道、今は道路としてどちらも重要。今も昔も大事なもの(地理的に重要な場所)は変わっていない!ってのが面白いなーって思いました。
長い距離にわたる大規模な工事によって水城が造られたわけだけど、どういう人がその作業をしていたのだろう?どんな気持ちだったのだろう?