門司港レトロ旅行記(門司港駅・関門海峡ミュージアムなど)【2022年3月】
2022年3月に門司港駅(門司港レトロ)に行ってきました。
その旅行記をブログ記事として残しておきます!
小倉駅から門司港駅へと向かう
北九州空港からバスに乗り、小倉駅へと到着。
今から、JR鹿児島本線に乗って門司港駅へと向かいます(約15分)。
途中の小森江駅には、なんか雰囲気良さげなレンガの倉庫がありました。
これは大正3年に鈴木商店が設置した焼酎工場。焼酎を中国・朝鮮向けに輸出していたらしいです。
現在はニッカウヰスキー門司工場として使われているとのこと。
まもなく門司港駅に到着です。
門司港駅に線路がたくさんある理由
1891年、この駅が九州鉄道の起点の駅として開設されたから(だと思います)。
1901年には関門連絡船の運行がスタートし、本州の鉄道と結ばれて、たくさんの旅客・貨物がこの駅を経由することになったとのこと。
門司港駅(門司港レトロ)に到着
門司港駅には、九州鉄道の起点のモニュメントがありました。ここ門司から、九州各地に鉄道が伸びていったわけです。
これが門司港駅。国の重要文化財に指定されている駅です。
※国の重要文化財に指定されている駅舎は、東京駅丸の内駅舎とこの門司港駅舎だけとのこと。
2019年にリニューアル工事が行われたばかりなので、レトロな雰囲気を残しつつも、とてもキレイな駅舎!
旧三等待合室のスペースに、スターバックスが出店していました。おしゃれな雰囲気ですが、扱っているメニューは他のスタバと同じです。
では、門司港駅周辺を散策します!
関門海峡かっこええ!
ちょっと歩くと関門海峡がありました!初めて見ました。
九州と本州ってこんなに近いんだなー…ってことにビックリ。もっと間が離れているのかと思いました。
関門海峡は明日渡る予定です。
門司港レトロ地区を散策
レトロな建物がたくさんあります。明治時代って感じ。
旧門司税関
これは旧門司税関の建物。
この建物はもう税関としては使われていませんが、門司税関は密輸の取り締まりなど今でも活躍しています。
ちなみに建物は、「門司港レトロ」の事業の一環として1991年頃から修復されて、今に至ります(外観は痛みが激しかったので復元されたらしいですが、内側の壁はたぶん当時のまま)。
大連友好記念館(旧国際友好記念図書館)
北九州市と中国・大連市の友好都市締結15周年を記念して整備された建物です(1995年完成)。
門司港レトロ展望室
門司港レトロ展望室というタワーがあったので、せっかくなので登ってみます!
高さ103mから門司港レトロ地区を見渡すことができます。
ここは壇ノ浦。源平合戦の最後の舞台となった場所です。
壇ノ浦の戦いで亡くなった安徳天皇を祀った赤間神宮が見えます。赤間神宮は明日行きます!
こちらは門司港駅の方面。
門司港駅の線路、すごく多いですよね!門司港駅が物流の拠点だったことがよくわかります。
こちらは宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した巌流島(舟島)。
展望室、ものすごく面白かったので、ぜひ登ってみてください!
関門海峡ミュージアム
門司港名物の焼きカレーを食べたかったのですが、どこも長蛇の列…
並ぶのは嫌だったので、ランチの前に関門海峡ミュージアムの見学をすることにしました。
ここは関門海峡に関する歴史を学ぶことができる施設。
関門海峡付近はさまざまな歴史の舞台となりました。
源平合戦の最後の舞台(壇ノ浦の戦い)となったり、
日明貿易の中継港として栄えたり、
江戸時代末期に長州藩がイギリス・アメリカ・フランス・オランダの連合艦隊とバトルをしたり、
欧州航路が開かれたり、
バナナの輸入拠点となったり…などなど。
この関門海峡ミュージアムには、吹き抜けのどデカいシアターがあって、ここで関門海峡に関する映像を見ることができます。
映像は面白かったのですが、、、正直、場所を持て余してる感が否めなかったです笑
関門海峡ミュージアム、結構面白い(まあまあ時間が潰せる)ので、時間がある人はぜひ行ってみてください!
焼きカレー
そしていよいよ焼きカレー!
駅前の店はとても混んでいたので、ちょっと駅から離れた店に入ることにしました。ちょっと歩くだけで待ち時間ゼロでした。
きたーーー!これが門司港の名物、焼きカレー!
国際貿易港として栄えた門司港にたくさんの洋食店が建ち並び、そこで生まれたのが焼きカレーとのこと。
むちゃくちゃおいしかったです!
門司港駅周辺は焼きカレーの店ばっかり。町として焼きカレーをこれでもか!ってくらい推しています。
まあぶっちゃけただのオーブンで焼いたカレーですし、どこでも食べられると言えば食べられるんですけどね。
カレーっていう万人受けするメニュー&良い香りを漂わせるメニューを観光地の名物にするのって強いなあ…って思いました。
こういう名物がない地域は観光振興するのがしんどいはず。。。とか余計なことを考えてしまいました。
バナナの叩き売り発祥の地
国際貿易港として栄えた門司港は、バナナの叩き売り発祥の地。
ということで、門司港駅周辺では焼きカレーだけでなくバナナスイーツもたくさん売られていました(お腹がいっぱいだったので今回は食べず)。
旧JR九州本社ビル
門司港駅は九州鉄道の起点だった駅。
ということで旧JR九州本社ビルがありました。かつては三井物産門司支店の建物だったらしいです。
門司港レトロ地区が生まれた理由
【発展期】
もともと門司は塩田と漁業を生業とする人々が暮らす町だったのですが、
1889年に門司港が石炭や米などの特別輸出港に指定されたこと、1891年に九州鉄道が門司駅まで延伸されたことによって、門司エリアの様子はガラッと変わります。
門司の町にたくさんの商社が集まって、門司港は国際貿易港として発展したのです。
- 「一丁ロンドン」と呼ばれるほどに
- バナナ輸入船の寄港地(→「バナナの叩き売り」発祥の地に)
- 関門海峡を横断するトンネルや橋がなく、関門連絡船の発着地だったため、九州の玄関口としての役割も果たした
そして港が開かれると、輸出入を管理するために税関が必要になりますよね。ということで、記事の前半で紹介した門司税関ができたようです。
昔は関門海峡を横断するトンネルや橋がありませんでした。
そのため、門司港エリアは九州の玄関口としての役割も果たしました(←門司港が関門連絡船の発着地だったので)。
【衰退期】
が、1942年に関門鉄道トンネルが開通したことにより、門司港を経由せずに本州との行き来ができるようになります。
また、第二次世界大戦により、門司港は貿易機能を失いました。
(理由)
- 門司の町は爆撃を受けた
- アメリカ軍により関門海峡に機雷が多数落とされた
さらに戦後の1963年には、門司市をふくむ5市が合併されて北九州市が誕生し、市政の中心が小倉に移動しました。
これらの出来事を背景に、商社や新聞社など多くの会社が門司の地を離れることになり、門司港エリア衰退してしまったんです。
【復興期】
しかし、建物の中には戦争時の爆撃を免れたものもありました。(←最終兵站基地という性格上、軍部が意図的に港湾荷役を捕虜にしたため)
そこで、残ったレトロな建物を活かした観光地として門司地域を再興しよう!ってことで、1995年に「門司港レトロ地区」が誕生することになったんです。
これが門司港エリアのざっくりとした歴史です。