農地改革についてまとめました!
農地改革を理解するための基礎知識
自作農
耕地の全部またはそのほとんどが自分の所有地である農家。
地主
自分の所有地などを小作農に貸し付けて、小作農から土地の借用料(小作料)を得る。
企業・銀行へ投資し、地方の有力者として議会の選挙権を得て、社会的・政治的な影響力を獲得した。
小作農
耕地の多くが地主などの所有地である農家。土地の借用料(小作料)を支払う。
寄生地主制
地主自らは農業経営をせず、小作農に所有地を貸し付けて高額な現物小作料収入に依存する制度。
農地改革の目的
- 寄生地主制を除去し、安定した自作農を大量に生み出す
- 農業生産力の向上(高額な小作料を取る地主経営のあり方は排除されなければならなかった)
農地改革をする前の状況
農民が疲弊していた
食糧危機に直面していた(←特に戦時中から)
↓
もともと、日本の官僚は「地主制度を解体しなきゃ!」と思っていた
(→第一次農地改革)
第一次農地改革(1945年12月〜)by 幣原喜重郎内閣
内容
農地調整法を改正
5町歩以外はすべて小作人に譲り渡す
※しかし、これだと小作地の40%しか解放されず、60%は地主が保有したまま・・・ということになってしまう
経緯
GHQに言われるまでもなく、自主的に改革をしようとしていた!
(理由)地主制度を解体して農民を助けないと、食糧危機が解決しないから
↓
しかし、地主制度を解体しようとする案に地主たち=お金持ちの人々は猛反発(←自分の資産が縮小してしまうので)
→政府内部や議会での反対にあう
しかも、GHQ的にも「政府の案は不徹底だよ〜、やるならもっと徹底的にやらなきゃ〜」って感じだった
↓
結局、政府が当初考えた案よりもさらに過激な改革が、GHQの圧力によって実行された
↓
第二次農地改革(1946年10月〜)by 第1次吉田茂内閣
内容
農地調整法を改正+自作農創設特別措置法を制定
以下の農地を政府が強制的に安値で買い上げて、実際に耕作をしていた小作人に安く売り渡す
- 不在地主の小作地のすべて
- 在村地主の小作地のうち一定面積を超える農地
※一定面積=1町歩(北海道は4町歩)
※1町歩=約1ヘクタール(10,000㎡:一辺の長さが100mの正方形の面積)
農地の移動(買取・売渡し)には農地委員会の承認が必要とされた
※農地委員会:地主3、自作農2、小作農5の割合で選ばれた
残った小作料では、小作料の物納が禁止された(=金納化された)
結果
零細経営が続く
- 農地の買収・譲渡は1947〜1950年に行われた
- 全農地の半分近くを占めていた小作地が1割程度にまで減少
- 農家の大半が1町歩未満の零細な自作農となった
→零細経営を中心とする日本の農業構造は改善されず
※林野解放は行われなかった
国内市場が拡大
農民の生活水準が上がって購買力が上昇し、国内消費市場が拡大した
農民が保守系政党の支持基盤に
農業協同組合(農協)が組織され、農民の生活擁護の活動を行うことに
→農協が政治団体(票田)に
※農地改革と選挙権の大幅拡大は連動している
農地改革により自作農が大量に生まれたことで、農民の多くが私有財産を持つようになった
→「既得権益を守りたい!」っていう思いが強くなった農民は保守系政党に取り込まれることになった
=日本共産党の力が大幅にダウン
※今の自民党政権がやたら農民(農協)の顔色をうかがうのは、自民党の支持基盤が農民(農協)だから
農地改革の問題点
零細経営の自作農を多数創出する結果となった
→高度経済成長の中で、第2次・第3次産業と第1次産業の格差が拡大した
→1961農業基本法
動画でも確認
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参考文献
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