【北アメリカ】多文化主義を宣言するカナダと、宣言しないアメリカ

北アメリカに位置するアメリカ合衆国とカナダは、どちらも移民によって形成された国家であり、多様な民族・人種が暮らす多文化社会である。
しかし、「多文化主義」への公式な態度は両国で大きく異なる。
カナダが1971年に多文化主義を国家の方針として宣言し、1988年には法律として制定したのに対し、アメリカはそのような宣言をしていない。
なぜこのような違いが生まれたのだろうか。
アメリカ合衆国は人が自然と集まる
アメリカ合衆国は、建国の早い段階から多様な人々を受け入れてきた。
- 農園の労働力として連れてこられた黒人奴隷
- 鉱山や鉄道建設の労働力として渡ってきたアジア系移民
- 蒸気船の普及とともに急成長するアメリカを目指してヨーロッパから押し寄せた大量の移民




ゆえに、多文化社会はある意味自然に形成されていった。第二次世界大戦後、世界の覇権国となってからも、その流れは止まらなかった。
ただし、アメリカには伝統的に「人種のるつぼ(melting pot)」と呼ばれる同化主義的な理念があった。多様な出自を持つ人々が「アメリカ人」として一つに溶け込むことを期待する文化である。
現代のアメリカは、溶け合う「るつぼ」よりも、それぞれが個性を保つ「サラダボウル(多文化主義)」として表現されることが多い。
いずれにしても、恵まれた自然環境と経済的なチャンスが人を引き寄せるアメリカ合衆国は、人を集めるために「多文化主義」を宣言する必要に駆られなかった。


カナダは多文化主義を宣言する必要があった
一方カナダは、アメリカと同じようには人が集まらなかった。
北アメリカの北部に位置し、気候は厳しく、アメリカほど早くから工業が発展したわけでもない。その結果、社会の主流を占めたのは初期に入植したイギリス系とフランス系の二集団であり、両者の間では長年にわたって主導権争いが続いた。
対立が頂点に達したのは1960〜70年代である。フランス系住民が多いケベック州では独立運動が高まり、1970年には武装過激派による連続テロ事件(FLQ危機)が発生。1980年と1995年には独立の是非を問う住民投票も行われた。



こうした状況の中で導入されたのが多文化主義政策である。
つまりカナダの多文化主義は、国家が意図的に多様な人々を受け入れる姿勢を示すことで、社会の分断を乗り越えようとした選択だった。













