【日本史】江戸幕府の財政と農業の発展をわかりやすく

江戸幕府の財政の根本的な問題について書きました!
江戸幕府の財政
江戸幕府の財政の話です。基本的な構造を説明します(大事!)。
収入
江戸幕府の主な収入は、約400万石に及ぶ幕領(直轄地)からの年貢米でした。
江戸時代の初期は、この収入に加えて金銀鉱山からの金や銀という収入もありました。



換金
で、江戸幕府は大量の年貢米を販売・換金して貨幣収入を得ます

支出
で、江戸幕府はその貨幣を支出して必要な商品やサービスを手に入れる。
これが江戸幕府の財政の基本的な構造です。

江戸幕府は財政難に直面
次に、財政難についての話です。
5代将軍徳川綱吉の時期くらいから、江戸幕府は財政難という問題に直面しました。
主な理由は2つ。
- 直轄の金銀山からの金銀産出量が激減して収入が減ってしまった
- 明暦の大火(1657)という江戸での火事の後の復興のために支出が増えてしまった
インプットが減ってアウトプットが増えたので、財政難になったということです。

財政難に対して、江戸幕府は対策をしました。2つ説明します。
対策①:貨幣改鋳
まず1つ目は、貨幣を改鋳するという対策です。
5代将軍の徳川綱吉は、荻原重秀っていう人のアドバイスにもとづいて貨幣を改鋳しました。
今までの貨幣(慶長金銀)よりも金と銀が含まれる割合を低くした=品位を下げた貨幣(元禄金銀)を作って、「両方とも同じ価値ですよ!」ってことにした。
で、新しい貨幣をたくさん流通させて貨幣が出回っている量を増やすとともに、昔の貨幣を江戸幕府が回収することで、金銀の差を差益(出目)としてゲットして収入アップを狙おうとしました。

これが徳川綱吉の対策です。
これを聞くと、「そんなのむちゃくちゃでしょ。両方とも同じ価値って言われても無理があるよ。」って思うかもしれませんが、、、
僕たちだってただの紙切れを1万円って信じたり1,000円って信じたりしているわけなので、無理があるわけではありません。政府のことをみんなが信用していれば、素材自体に価値があるかどうか?は問われない。
ですが、江戸幕府には信用がなかった。ので、人々は「両方とも同じ価値ですよ!」っていう言葉を信じられず、経済は混乱することになってしまったようです。
対策②:貿易制限
2つ目は、貿易を制限するという対策です。
6代将軍家宣と7代将軍家継の時代に発言力をもった新井白石っていう人を中心に、江戸幕府は長崎貿易を制限するという対策を行いました。
17世紀後半に清の中国支配が確立すると、中国船の長崎来航が増えて長崎貿易が拡大することになりました。
長崎貿易での主要な輸出品は銀でした。つまり、長崎貿易の拡大にともなって日本から国外に銀がより流出するようになったっていうことです。
ところが、17世紀後半には日本国内で銀の産出量が激減してしまった。銀が取れなくなってきているのに、銀がどんどん国外に流出してしまっているわけです。
そこで、江戸幕府は長崎貿易での来航船の数や取引額を制限して、銀が海外に流出することを防止しようとしました。
あと、銀以外の輸出品を作ろうとしました。銅や俵物(干しアワビ・フカヒレなどの海産物)です。これらが輸出品の中心になれば銀の流出を抑えられますからね。

江戸幕府は財政難に苦しみ続ける
財政難という新たな問題に対して、江戸幕府は以上のような対策をしました。
が、これらの対策によって財政難が完璧に解決したのか?というと、そういうわけではありません。この後も江戸幕府は財政難に苦しみ続けることになります。
その1つの背景に「農業が発展した」ということがあります。
農業が発展したらなんで財政難になるの?っていうところも含めて、最後に農業の発展についての話をします。

江戸時代の農業の発展
17世紀後半以降、平和で秩序ある時代になるとともに農業が発展しました。
①生産性アップ
農業が発展した主な理由は「生産性がアップしたこと」でした。
新田開発をして耕地面積が増えることによっても農業は発展していたんですけど、「土地を増やす」というやり方が限界に達してきてしまったんですよね。日本は山が多くて、新田として開発できる場所に限りがあるので。
本百姓の多くは、せまい土地をわずかな家族の労働力で耕作していました。
このせまい土地で、よりインプット(労力)を減らしてアウトプット(収穫)を増やしたい!ということで、「生産性をアップさせるにはどうしたらいいか?」について、みんながすごく工夫を凝らすようになりました。

その工夫について説明します。
(1)農作業の効率化
1つの作業にかかる時間を短くしよう!(インプットを減らそう!)ってことで、農具の改良が行われました。
具体例
- 備中鍬
- 踏車
- 千歯扱
- 唐箕
- 千石どおし

(2)肥料の使用
作物がもっと育つようにしよう!(アウトプットを増やそう!)ってことで、肥料がますます使われるようになりました。
具体例
- 自給肥料(刈敷、草木灰)
- 購入肥料=金肥(干鰯、〆粕、油粕)
特に、金肥が普及したというのがポイントです。
②商品生産の拡大
また、武士が城下町に集まって住むようになって都市での消費が拡大したことにともなって、手工業の原材料となる作物を生産して商品として販売するようにもなりました。
具体例
- 四木(桑、漆、楮、茶)
- 三草(麻、藍、紅花)
- 木綿
- 菜種

③農書
これらの農業技術は、農書という農業について書かれた書物を通じて全国各地に広まりました。
農民も文字を読めたってことですから、日本の教育水準の高さがなんとなーくわかりますね。
具体例
- 『農業全書』(宮崎安貞)

【重要】農業と財政難の関係
このように、江戸時代は農業がものすごく発展した時期でした。
が、この農業の発展、特に米の収穫が増えたことは、皮肉にも江戸幕府の財政難を加速させることになってしまったのです。
江戸幕府の財政の構造の説明のところで、こんな話をしましたよね。
- 江戸幕府の主な収入=約400万石に及ぶ幕領(直轄地)からの年貢米
- 江戸幕府は大量の年貢米を販売・換金して、貨幣収入を得る
江戸幕府は米を換金しないといけないわけです。

そんな中、農業が発展してお米がたくさんとれるようになった。
そうすると、お米の値段(米価)はそんなに上がらなくて、米価だけが他の物価に比べて安くなるという状況になってしまうんですよね(この状況を「米価安の諸色高」と言います)。

そうなるとどうなるのか?
米を換金した時に得られる貨幣も(相対的に)減ってしまって、江戸幕府や武士の収入が実質的に減ることになってしまうわけです。
つまり、江戸時代に農業が発展した結果、江戸幕府の財政は苦しくなってしまったということです。

- 金銀山からの金銀産出量が激減して収入が減ってしまったのに加えて、
- 明暦の大火(1657)という江戸での火事の後の復興のために支出が増えてしまった
だけではなく、
- 農業が発展して米価安になってしまった結果、貨幣収入が少なくなってしまった。
江戸幕府の財政の「年貢米を販売・換金して貨幣収入を得る」という構造が根本的にヤバい感じ。
ということで、江戸幕府は今後も財政難に苦しみ続けることになります。そして、享保の改革が行われることになるわけです。

まとめ
戦国時代以来の命を軽く扱ったり武力で自分を高めようとしたりする風潮が残っていたから、江戸幕府は平和で秩序ある時代に転換しようとした。
17世紀後半以降、平和で秩序ある時代になるとともに、農業が発展した。
ところが、江戸幕府は財政難という問題に直面することになった。
財政難の主な理由は
- 直轄の金銀山からの金銀産出量が激減して収入が減ってしまったこと
- 明暦の大火(1657)という江戸での火事の後の復興のために支出が増えてしまったこと
- 農業が発展して米価安になってしまった結果、貨幣収入が少なくなってしまったこと















