【日本史】安政の改革をわかりやすく:阿部正弘は何をしようとした?

「回答は1年待ってくれ」ってことでペリーにお帰りいただいた後の話。
1年間しか時間がない中で、幕府として何らかの結論を出さなきゃいけなくなりました。そんな状況で行われた幕府の改革が安政の改革です。
どんな内容だったのでしょうか?
安政の改革

もっとみんなの意見を聞く
江戸幕府の中心メンバーだった阿部正弘は「もっともっとみんなの意見を聞こう!」って考えて、今まで幕府の政治に参加していなかった人にも意見を求めました。
昔はどうだったか?というと、
もともと江戸幕府は、将軍のもとで老中や若年寄と呼ばれる役職の人々がいろんな政策を考えて実行する、という形で運営がなされていました。

老中や若年寄などの幕府の役職につけるのは原則、譜代大名や旗本です。
- 譜代大名=はじめから徳川氏の家臣だった大名
- 旗本=徳川氏直属の家臣
つまり、古くから将軍に従っていた人(譜代大名や旗本)が幕府の運営にあたっていて、親藩や外様大名は幕府の役職にはつけず、幕府の政治からは排除されていたわけです。
- 親藩=将軍の一族
- 外様大名=関ヶ原の戦い以後に徳川家に従った大名
ところが「アメリカ人が開国を求めてきた」という超ビッグなイベントを受けて、老中の阿部正弘は今までの幕府運営の方針を変えて
- 朝廷への報告を行い
- 親藩や外様大名にも意見を言わせる
ことにしました。

老中などの幕閣に就任した譜代大名・旗本だけによる運営(幕閣独裁)をやめて、今まで幕府の運営に参加できなかった大名を運営に参加させるようにしたということ(公儀の尊重)。
「みんなで力を合わせて危機を乗り越えるぞー!」みたいな感じです。
以下は、新たに幕府の運営に参加するようになった有名な人物です。
- 水戸藩主(親藩)の徳川斉昭
- 越前藩主(親藩)の松平慶永
- 薩摩藩主(外様大名)の島津斉彬

戦争に備える
また、老中の阿部正弘は「アメリカと戦うことになった場合に備えて、防衛体制を強化せねば!」って考えました。
そこで、今まで武家諸法度で禁止されていた「大きな船を造ること」を認めて、幕府と藩で協力して海軍を作ろうとしました。
あと、江戸湾に砲台(台場)を作りました。品川台場と呼ばれる砲台で、今でもフジテレビがあるお台場に跡が残っています。





このように、ペリーにお帰りいただいた後、江戸幕府の中心メンバーだった阿部正弘は改革を行いました。この改革のことを安政の改革と言います。
幕府内での対立へ
しかしその後、幕府内で対立・将軍の後継ぎ争いが起きてしまいます。

動画でも解説











