【日本史】大日本帝国憲法(明治憲法)をわかりやすく:どんな国の仕組み?

大日本帝国憲法(明治憲法)について説明します!
- 国の政治がどのように行われたのか?
- 内閣総理大臣はどのように選ばれたのか?
- 軍隊はどのようにコントロールされたのか?
- この憲法にはどんな問題点があったのか?
大日本帝国憲法の下で国の政治がどのように行われたのか?


【天皇】日本を統治する
明治憲法では「天皇が日本を統治する」と定められました。

「天皇は、今まで血筋が途切れることなく代々(=万世一系)日本のトップとしてずっと君臨していたスゴイ存在だ!だから日本を統治するのは天皇なのだ!」っていう考え方に基づいています。
ということで、天皇は議会が関与できない絶大な権限を持つとされました。その権限のことをまとめて天皇大権と言います。

| 立法に関する大権 | 緊急時だけど議会が閉会している時に、天皇の命令でルールを作れる(緊急勅令) |
| 官僚に関する大権 | 天皇は官僚を任命したり免職にしたりできる(文武官の任免) |
| 陸海軍に関する大権 | 天皇は陸軍や海軍に関して、兵力量を決めたり(←編制大権)、作戦の立案や指揮命令をしたり(←統帥権)できる また、非常事態の時に軍隊に治安維持を任せることができる(戒厳令) |
| 外交に関する大権 | 天皇は宣戦布告をしたり、戦争をやめたり(←講和)、条約を結んだりできる |
このように、天皇には議会が関与できない絶大な権力が与えられていました。
とは言っても、天皇がすべてにおいて何の制約もなく権限を行使できたわけではありませんでした。
というのも、天皇は他の国家機関(内閣や帝国議会、枢密院、参謀本部、海軍軍令部)のサポートを受けながら日本を統治する!っていうことになっていたからです。

【内閣】国務大臣が天皇をサポートする
日本では天皇がトップなんですけど、その天皇を各国務大臣がサポートする(輔弼する)というシステムになっていました。
なので、実質的には国務大臣たち(内閣)が日本でリーダーシップをとることになっていました。
大臣ってのは、国がやらなきゃいけない内容をいくつかの分野に分けた時の、それぞれの分野のトップのことです。
※内閣=内閣総理大臣(首相)+国務大臣たち
※輔弼(ほひつ)=advise

例えば、天皇に対して、他の国との関係(外交)に関しては外務大臣がサポートをして、財政に関しては大蔵大臣がサポートをして、、、って感じです(このことを各国務大臣の単独輔弼制と言います)。
じゃあ、日本の中の一体誰が大臣を務めるのでしょうか?
大臣を務める人の条件は憲法に書かれていない
現代の日本では、日本国憲法に
- 内閣総理大臣は国会議員である
- 国務大臣の過半数は国会議員である
と書かれていて、大臣を務める人の条件がある程度決まっています。この条件のもとで、内閣総理大臣が中心になって「誰に大臣をやってもらおう?」って考えて、組閣します。

一方、大日本帝国憲法には「大臣を務める人の条件」については何も書かれていませんでした。つまり誰でもいいわけです。っていうか大日本帝国憲法には「内閣総理大臣」という言葉すらには出てきません。
それくらい内閣については曖昧。「次の内閣総理大臣になりなさい!」と命じられた人が中心になって、国務大臣たちを誰にするかを考えて組閣するだけでした。
じゃあ国務大臣たちを選ぶ内閣総理大臣(首相)を、誰がどうやって決めるのでしょうか?
内閣総理大臣(首相)は元老によって選ばれる
内閣総理大臣(首相)は、のちのち元老と呼ばれることになる「明治維新を成し遂げ、明治以降の日本を引っ張ってきた人々」によって選ばれていました。
日本の中心にいた人たち(少人数の人たち)が「次は誰がいいかな?」って考えて、「次はあんたがやりなよ」「えーまじすか、俺っすか」って感じで決まるっていう形です(最後に任命するのは天皇です)。
※元老=明治維新を成し遂げ、明治以降の日本を引っ張ってきた人々。首相の推薦や重要な政策に関わった。黒田清隆、伊藤博文、山県有朋、松方正義、井上馨、西郷従道、大山巌に、桂太郎と西園寺公望が加わった。

現代の日本では、衆議院で一番多く議席を獲得した政党(最も票を獲得した政党)の党首が首相になる流れになっているので、内閣総理大臣は民衆の考えが反映された存在です。
が、大日本帝国憲法のもとでは、民衆の考えとは関係なく内閣総理大臣、そして内閣のメンバーが決まっていたわけです。
【官僚】政策に関して、具体的な実務を行う
(内閣の立案→帝国議会の同意により)実際に実行することになった政策に関して、具体的な実務を行ったのが各省庁の官僚です。
各国務大臣は、各省庁で官僚に対してリーダーシップを発揮する存在です。

【帝国議会】予算案や法律案に同意(協賛)する
明治憲法の下では、日本でリーダーシップをとる内閣は民衆の考えを反映した存在ではなかったと言いました。
とはいえ、民衆が国家に対して影響力を全く及ぼせなかったのか?というと、そういうわけではありません。
衆議院議員は国民の選挙によって選ばれる
選挙権が限られた人にしか認められていなかったとはいえ、選挙を通じて民衆が国家に対して自分の意思を表明することができました。その民衆の意思表示の場所が、帝国議会の中の衆議院です。

国の予算や法律の成立には帝国議会の同意(協賛)が必要ということになっていました。そして、帝国議会の中の衆議院の議員は国民の選挙によって選ばれた人たちでした。
なので、内閣が「日本でこんなことをやりたい!」って考えたことを実現するためには、帝国議会の同意が(国民の同意が)不可欠だったんです。

でもこれって、内閣からしたら(大臣たちからしたら)迷惑っちゃ迷惑ですよね。
「国民の意見を聞いてみんなで国を運営していくことはもちろん大事なんだけど、難しいこととか国のことがわかってなくて適当なことを言う庶民の意見なんか聞く必要ないでしょ!」って思っていても不思議ではない。
ってことで、明治憲法体制は「なるべく国民の意見が反映されないようなシステム」になっていました。

貴族院議員は皇族や華族といった特権身分の人たち
帝国議会は衆議院と貴族院の二院制になっていて、両方の同意を得ないといけません。
衆議院の議員は国民の選挙によって選ばれた人たちでしたが、貴族院の議員は皇族や華族といった特権身分の人たち(選挙によって選ばれたわけではない人たち)でした。
※華族=公家や大名だった人たち

生活に余裕がある特権身分の人たち(ある程度”わかっていそうな”人たち)が国の政治のために呼び寄せられて、彼らの意見も反映されることになっていたわけです。
この点で、明治憲法体制は「普通の国民」の意見は反映されにくい構造になっていました。二院制だとはいえ、衆議院議員も参議院議員も選挙で選ぶ現代のシステムとはだいぶ違いますよね。
帝国議会=衆議院+貴族院
※両院は対等の権限を持つ
※ただし、衆議院が予算を先に審議できた
※予算案が成立しなかった場合は、内閣は前年度の予算をそのまま使うことができた
【裁判所】裁判をする
明治憲法体制では、裁判所もありました。

【枢密院】条約や緊急勅令などの重要な国務を審議し天皇にアドバイスする
条約や緊急勅令などの重要な国務に関して審議し、天皇にアドバイスする組織もありました。それが枢密院です。
このように、天皇はいろんな国家機関のサポートを受けて日本を統治することになっていました。結局誰が一番えらいのかよくわからないシステムですよね(これを「権力の割拠性」と言います)。

【宮中】皇室関係の業務を扱う
皇室関係の業務を扱う役所が宮内省です。
宮中・府中の別
○○省のトップである大臣は内閣として集まって、国の政治について話し合うことになっていました。が、宮内省に関しては例外でした。
「皇室が内閣にコントロールされないようにしよう」「皇室関係のことと国の政治関係のことははっきり分けよう」ってことで、宮内省は内閣の外に置かれ、宮内大臣は国の政治についての話し合いに参加しないことになっていました(宮中・府中の別)。

宮中(皇居)には、天皇をサポートする官僚として、内大臣、侍従長、宮内大臣などがいました。特に内大臣は天皇の側近として、のちのち大きな政治的発言力を持つようになる重要な役職です。
大日本帝国憲法の下で軍隊はどのようにコントロールされた?

大日本帝国憲法の問題点

動画でも解説












