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【日本史】鎖国をわかりやすく(絵踏・寺請制度):日本が鎖国した理由

モチオカ(望岡 慶)

江戸時代の「鎖国」について、「あーなるほど、そういうことか!」ってわかってもらえるように頑張って話をします!

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キリスト教が厄介だった

江戸時代初期の外交の記事動画で説明をした通り、実は江戸幕府はものすごく積極的に貿易をしようとしていました。

が、厄介だったのがキリスト教でした。

キリスト教は(それが良いとか悪いとかはともかく)独特の世界観・価値観をもっています。このような別の世界観・価値観をもっている集団って、国をまとめる上で厄介な存在になることが少なくありません。

実際、キリスト教は幕府や藩などの権力よりもキリスト教の信仰を上位に位置づけるという特徴を持っていました。

※ちなみに、日蓮宗不受布施派も幕府や藩などの権力よりも日蓮宗の信仰を上位にするものだったので、江戸幕府は日蓮宗不受布施派も敵視していました。

でも、江戸幕府は当初、キリスト教の布教を黙認していました。

ポルトガルやスペインとの貿易を仲介してくれたのがキリスト教の宣教師で、彼らがいるからこそ日本は貿易の利益をゲットすることができていた…っていう事実があったからです。

ここで大事なのが、江戸幕府が実現したい2つのことはトレードオフの関係(何かを達成すると、別の何かが達成されない、相容れない関係)だということ。

幕府がほしいもの貿易の利益
幕府がなくしたいものキリスト教

「貿易の利益はほしいけど、キリスト教はいらない」ってのが江戸幕府の本音です。

これを達成するには何かしらの工夫が必要になります。 

海外との接触を江戸幕府が管理する!

そこで江戸幕府は「海外との接触を江戸幕府が管理しよう!」って考えました。

「日本人は外国の人と自由に接触していいよ!」っていう方針ではなく、海外との接触を江戸幕府が管理・コントロールする方針をとれば、

  • キリスト教を排除することができるし、
  • 幕府が貿易の利益を独占することもできて、
  • 貿易に関係していた西国の大名がパワーをつけることを防止することができる

からです。

この「海外との接触を江戸幕府が管理したシステム」が、のちのち「鎖国」って呼ばれることになります。なので、最初から「鎖国するべ!」って思っていたわけではなく、気づいたら「鎖国」って言っても良さそうなシステムができていた、ってのが実情です。

ここからは、江戸幕府が海外との接触をどのように管理していったのか?(どうやっていわゆる「鎖国」というシステムができたのか?)について話をします。

「鎖国」にいたるまでの過程って、教科書とかにはグチャグチャと書かれているので混乱しがちですが、そんなに難しくないです。

外から入ってくるキリスト教を日本でゼロにしたいって思ったらどうするか?を考えるとわかりやすいです。

外から入ってくるものを排除したいって思ったら、

  1. 「それは禁止だよ」って言う
  2. 入ってこないようにする
  3. すでに入ってきているものは排除する

っていう3つの作業が必要ですよね。

こういう捉え方で、海外との接触を江戸幕府が管理していった流れを見ていきましょう!

①「それは禁止だよ」って言う(禁教)

江戸幕府はキリスト教を禁止しました。

1612年幕領にキリスト教禁止令(禁教令)を出す
1613年キリスト教禁止令を全国に広げる

「禁止だよ」って言えた背景には、朱印船貿易やオランダ・イギリスの貿易など、宣教師に頼らない貿易ルートをいくつか確保できるようになってきたという事情もあります。

(じゃなきゃ「禁止だよ」とは言えない。だって、中国産の生糸が欲しいから。)

【日本史】江戸初期の外交をわかりやすく(糸割符制度・朱印船貿易)
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②入ってこないようにする

江戸幕府は、

  • キリスト教を布教する外国人が日本に入ってこないようにしつつ、
  • 日本人が海外に好き勝手行ってキリスト教に染まって帰ってくるのを防ごうとしました。

厄介だったのは、貿易と一緒にキリスト教の布教もするポルトガルとスペインです。なので、彼らが来るのを禁止しました。また、日本人の海外渡航と帰国も禁止しました。

1616年中国船以外の異国船の寄港地を長崎と平戸に制限
1624年スペイン船の来航を禁止
1633年奉書船以外の海外渡航を禁止※1631年に、海外渡航する船は朱印状の他に老中発行の奉書(老中奉書)の所持を義務付けられた。
1635年日本人の海外渡航と帰国を禁止、中国船の寄港地を長崎に限定
1637~38年島原・天草一揆という大事件が起きる
1639年ポルトガル船の来航を禁止
1641年オランダ商館を平戸から長崎の出島に移転

島原の乱

1637〜38年に起きた島原・天草一揆は、江戸幕府にとってかなり重大な事件でした。これは隠れてキリスト教を信仰していた人々の一揆です。

島原(長崎)と天草(熊本)は昔キリシタン大名が支配していた土地で、キリスト教が広まっていました。「キリスト教は禁止だよ」ってなって以降は、みんな隠れてキリスト教を信仰していました

ところが、天候が良くなくて農作物があまり取れなかった中で、島原と天草のボスが厳しい政治を行いました。

みの踊り:領主 松倉勝家が領民に重税を課し、未納の領民には蓑を背負わせて火を放った。

で、隠れてキリスト教を信仰していた人々が「ふざけんなよーーーー」ってなって暴れ出しました。(天草四郎時貞っていう人がリーダー)

前に立っているのが天草四郎時貞

江戸幕府は九州の大名ら12万人の兵力を動員して、1638年にこの一揆を鎮めることができました。

が、この島原の乱は日本の歴史上最大規模の内戦で、この事件を機に、江戸幕府は「マジでキリスト教は危険だわ」って確信することになりました。

ポルトガル船の来航を禁止

事件の1年半後の1639年、いよいよポルトガル船来航の禁止をすることになりました。

この結果、日本と貿易をする外国のうち残ったのはオランダ船と中国船だけになりました(※ちなみに、イギリス船は禁止されたわけではなく自主撤退した)。

キリスト教の布教と貿易をセットで行う国はポルトガルとスペインでしたが、江戸幕府は彼らとの関係を切った。

なので、キリスト教が日本に入ってくる可能性は限りなくゼロに近づきました。

が、これでOKか?というと、、、そういうわけではありませんでした。

③すでに入ってきているものは排除する

島原・天草一揆がまさに示している通り、「禁止だよ」って言って外から入ってこないようにするだけじゃダメなんですね。隠れてキリスト教を信仰している人がいるので。

だから、キリスト教を本当にゼロにしようと思ったら、隠れてキリスト教を信仰している人を見つけ出して、すでに入ってきているものを排除しなきゃいけないわけです。

絵踏

そこで、江戸幕府は絵踏というエゲツない政策を行います。役人が監視している前で、キリストや聖母マリアが描かれている像を踏ませるという政策です。

好きだったり信仰したりしている人の像って、踏めないじゃないですか。例えば、NMB48の山本彩っていう人がいるんですけど、その人がむちゃくちゃ好きだったら、山本彩の生写真って踏めないですよね。単なる写真だったとしても。踏めないんですよ。僕は踏めません。

こんな感じで、「この絵(踏絵)を踏めない人はキリスト教徒だ!」ってことで、隠れてキリスト教を信仰している人を見つけようとしたわけです。

なかなかエゲツないことやりますよね、江戸幕府・・・

寺請制度

また、江戸幕府は寺請制度という政策も導入します。

これは、すべての人に檀那寺(だんなでら)を持たせて、キリシタンではないことを証明させる制度のこと。

檀那寺っていうのは、葬式などの葬祭を任せる寺院のことです。「あなたが所属する寺院はここです」ってのを、宗門改帳っていうノートに書いて、「キリスト教徒じゃないよね」ってことを証明します

ちなみに、現代の日本では葬式をする時ってお坊さんがやりますよね。

っていうか、現代の日本人って仏教と関わるのは葬式の時だけ(「葬式仏教」)、っていう人が多いと思います。こうなったきっかけが、この寺請制度だと言われています。

あと、夫のことを「旦那さん」って言ったりしますけど、その”旦那”の語源は、「布施をする人、面倒を見る人」を意味するサンスクリット語の「ダーナ」っていう言葉らしいです。檀那寺の檀那も同じ。

このように、江戸幕府は、

  • 絵踏で隠れてキリスト教を信仰している人を見つけようとしつつ
  • 寺請制度で民衆がキリスト教徒ではないことを証明させる

という形で、すでに入ってきているキリスト教を排除しようとしました。

誤解されがちだけど、「鎖国」は国を完全に閉ざしたわけではない

こうしてできあがった禁教・貿易統制のシステムが、のちのち「鎖国」と呼ばれることになりました。

「鎖国」キリスト教の禁教と貿易の統制を目的に、日本人の海外渡航と帰国を禁止して、外交・貿易を制限した政策

オランダと中国が残っているので、国を完全に閉ざしたわけではありません。国を完全に閉ざしたら貿易の利益をゲットできなくなるので、そんなことはしません

国を完全に閉ざしていたわけではない、ってことがわかりやすい例を言うと、1853年にペリーが日本にやって来ますが、江戸幕府はペリーが来航することを事前に知ることができていました。江戸時代の日本は国を完全に閉ざしていたわけではないんです。

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もちおか
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