2026.03.18 日本 【日本史】普天間飛行場の辺野古移設をめぐる主な経緯・流れ モチオカ(望岡 慶) 目次 1990年代:辺野古への移設が決定2000年代:民主党政権も辺野古への移設を決定2010年代:国と県が激しく対立2020年代:辺野古基地の建設が進む参考文献1990年代:辺野古への移設が決定 1996年4月:日米両政府が普天間飛行場の5〜7年以内の返還に合意(SACO最終報告)。ただし、沖縄県内への移設が条件とされた。 1997年12月:名護市で移設の是非を問う市民投票が実施され、反対が多数を占める。しかし、当時の比嘉鉄也市長は受入れを表明し、辞任。 1999年12月:沖縄県の稲嶺惠一知事が、軍民共用や15年の使用期限などの条件付きで辺野古への移設を容認。 2000年代:民主党政権も辺野古への移設を決定 2004年8月:米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落。普天間飛行場の危険性が改めて浮き彫りになる。 2006年5月:日米両政府が「米軍再編ロードマップ」に合意。現行計画であるV字型滑走路の建設案が固まる。 2009年9月:普天間飛行場の移設先は「最低でも県外」と公言していた民主党の鳩山由紀夫内閣が発足。 2010年1月:辺野古への移設反対を公約に掲げた稲嶺進が名護市長選挙で当選。 2010年5月:鳩山政権が普天間飛行場の辺野古移設を閣議決定。 2010年代:国と県が激しく対立 2013年1月:県内全41市町村長、市町村議会議長らが安倍首相にオスプレイの配備撤回や普天間飛行場の県内移設断念を求める建白書を手渡す。 2013年12月:仲井眞弘多知事が、政府による辺野古沖の埋め立て申請を承認。 2014年11月:「辺野古新基地建設反対」を掲げた翁長雄志氏が知事選に当選。以降、県と国の対立が激化。 2015年10月:翁長知事が前知事による埋め立て承認を取り消す。国と県の間で複数の訴訟が開始される。 2016年12月:最高裁が「取り消し処分は違法」と判断。沖縄防衛局は埋め立て工事を再開。 2018年8月:翁長知事が急逝。同年9月の知事選で、反対の立場を継承した玉城デニー氏が当選。 2018年12月:政府が辺野古沿岸部(キャンプ・シュワブ南側)への土砂投入を開始。 2019年2月:埋め立ての是非を問う沖縄県民投票が実施され、反対票が約72%を占める。 2020年代:辺野古基地の建設が進む 2020年4月:政府が「大浦湾」側に存在する軟弱地盤の改良工事のため、設計変更を県に申請。 2021年11月:玉城知事が設計変更申請を不承認とする。再び法廷闘争へ。 2023年9月:最高裁が県の敗訴を確定させる判決を出す。 2023年12月:玉城知事が判決に従わず承認を行わなかったため、国土交通相が県に代わって承認する「代執行」を実施。 2024年1月:大浦湾側の軟弱地盤が含まれる区域での埋め立て工事に着手。 辺野古にて(2022.10撮影) 辺野古にて(2022.10撮影) 辺野古にて(2022.10撮影) 辺野古にて(2022.10撮影) 辺野古にて(2022.10撮影) 辺野古にて(2022.10撮影) 辺野古にて(2022.10撮影) 辺野古にて(2022.10撮影) 参考文献 辺野古新基地建設問題の経緯(沖縄県公式ホームページ) 新城俊昭(2024). 『琉球・沖縄史探求 ~探究心を育てるためのもう一つの眼差し~』. 編集工房 東洋企画. 役に立ったと思ったら、シェアお願いします! Xでコメントする Facebookでコメントする #日本の歴史#沖縄