一次エネルギーと二次エネルギーとは?なぜわざわざ加工するのか?
モチオカ(望岡 慶)
モチオカの社会科プラス
1864年、居留するフランス人のために長崎にカトリック教会「大浦天主堂」が建てられた。1865年、浦上の潜伏キリシタンが信仰を告白(「信徒発見」)。
1867年、江戸幕府は浦上のキリシタンを摘発・拷問した(浦上教徒弾圧事件)。江戸幕府滅亡後、幕府のキリスト教禁止政策を引き継いだ明治政府は浦上の村民たちを流罪とした。
開港後の混乱や討幕運動による社会不安の中で、のちに教派神道と呼ばれる民衆宗教が急速に広まった。
明治新政府は祭政一致の立場をとり、神道を国教化して仏教を排斥した。
しかし、神道の普及と仏教の排斥は国民に浸透しなかった。1872年、神祇省は教部省へと改められた(1877廃止)。
1870年代中頃以降、政府は民間の神道を公認し始めた(教派神道)。
キリスト教禁止政策は新政府成立後も維持された(1869五榜の掲示)。が、欧米を視察中の岩倉使節団はキリシタン弾圧が条約改正交渉の障害になっていることを知り、本国に打電通達。1873年、キリシタン禁制は廃止された。
1889年発布の大日本帝国憲法の中で、信教の自由が明文化された。
1890年に教育勅語が発布されて天皇が国民の道徳的・思想的中心に位置づけられると、国家主義とキリスト教の間で衝突が起こるようになった(1890内村鑑三不敬事件)。
敗戦後の1946年、昭和天皇は「天皇を現御神(アキツミカミ)とするのは架空の観念である」と述べた(天皇の人間宣言)。
1947年に日本国憲法が施行され、信教の自由と政教分離が規定された。
1970年代以降、新宗教が急速に拡大した。