【日本史】戊辰戦争をわかりやすく:危なすぎる戦い

戊辰戦争は、1868年1月から1869年6月まで行われた、新政府軍と旧幕府軍が戦った内戦のこと。
戊辰戦争について、4つに分けて説明します。
- 危機感のなか行われた内戦
- 鳥羽・伏見の戦いでスタート
- 戊辰戦争中に起きたこと
- 五稜郭の戦いで終了
戊辰戦争は危機感のなか行われた内戦
戊辰戦争は危機感のなか行われた内戦です。ここが一番大事なところで、面白いところ。
戊辰戦争は、いつ外国にブチのめされるかわからない状況で起きた”内戦”です。
自分の家の周りで強盗がウヨウヨしていて、いつ強盗が家の中に入ってくるかわからない状態の時に、夫婦喧嘩をしているようなイメージ。

江戸時代末期(幕末)に、日本はアメリカなどの欧米列強と不平等条約を結ぶことになりました。


で、当初は「外国の勢力を排除するぞ!」という攘夷(じょうい)の動きがあったのですが、軍事力の差がありすぎて「無理だ」ということに気づきます。
日本の将来を真剣に考えた人々は、「外国に負けない国にならないと、日本終わるぞ…」という危機感を強く抱き、「外国に負けない国」を作ろうと努力し始めました。

ですが、どうやって「外国に負けない国」を作るか?っていう部分で対立が起き、旧幕府と明治新政府の間でバトルが起きました。これが戊辰戦争。

いつ外国にブチのめされるかわからない状況なのに、内部分裂している。

旧幕府も明治新政府もボロボロになっている隙に外国に日本が乗っ取られちゃうかも…っていう感じです。
戊辰戦争の経過
鳥羽・伏見の戦いでスタート
戊辰戦争のスタートは、1868年1月に起きた鳥羽・伏見の戦いです(場所は京都)。

倒幕派(薩長など)は西日本が拠点で、江戸幕府は東日本が拠点。倒幕派がだんだん東へ東へと軍を進めていく、っていうイメージ。
鳥羽・伏見の戦いは新政府軍が勝利しました。
戊辰戦争中に起きたこと

明治新政府は、旧幕府と戦いながら体制を整えていきました。
旧幕府との戦いに全力を注ぐだけだと、戦いが終わった後に「ただボロボロになった」だけになってしまいますよね。それじゃマズいので、戦いつつ作っていった。
1868年3月 五箇条の御誓文
五箇条の御誓文:明治天皇が大名らを率いて神にちかうという形で出された。
- 公議世論の尊重
- 開国和親
公議世論の尊重とは、ざっくり言うと「民衆の意見を尊重しますよ」ということ。これがのちのちの議会制度につながっていきます。
開国和親とは、「攘夷はやめて、欧米列強の国際法を守りますよ」ということ。
1868年3月 五榜の掲示
五箇条の御誓文を出した翌日、今度は五榜の掲示を出しました。
五榜の掲示
- 五倫道徳遵守
- 徒党・強訴・逃散禁止
- キリスト教禁止
- 外国人殺害の禁止
- 郷村脱走禁止
江戸時代は、民衆に法令を伝えるために木の札に内容を書いて掲示をしていました。明治新政府も江戸時代のやり方にならって、民衆に対して木の札を5つ出し、「これからはこうしていきますよ」って示しました。
大事なのは、江戸幕府が民衆に対して求めていたことを、ほぼ引き継いでいるということ。
江戸幕府がなくなって明治新政府ができたので、民衆からしたら「これからどうなるんだ…」って不安ですよね。その不安をとりのぞくために、「今までと基本的には変わらないよ」って言いました。

まとめると、五箇条の御誓文と五榜の掲示を通して、外国と国内の民衆に対して今後の日本の方針を示したということです。
| 五箇条の御誓文 | 外国に対して「これからは国際法を守ります。民衆の意見を尊重する政治を行います。」と宣言 |
|---|---|
| 五榜の掲示 | 国内の民衆に対して「今までと基本的には変わらないよ」と伝える |
1868年4月 江戸城の無血開城
新政府軍は旧幕府軍がいる江戸城に総攻撃をしかけようとしたのですが、結局、いろいろあって江戸城は無血開城されました。
戦うことなく、旧幕府が江戸城を明治新政府に明け渡したということ。

新政府軍と旧幕府軍が江戸で真っ向勝負をしていたとしたら、たぶん江戸は一面焼け野原になったはず。
江戸幕府の中心、つまり日本の中心だった江戸がボロボロになったら、損失はハンパないです。それに、江戸がボロボロになっている時に外国にブチのめされて日本は終わっていたかもしれません。

江戸城をめぐる大バトルは目的から遠ざかる行為。明治新政府も旧幕府も、「外国に負けない国」を作ろうという目的を共有していました。

ということで、新政府の西郷隆盛と旧幕府の勝海舟が会談を行って、「江戸城を新政府に明け渡す」ことが約束されました。
旧幕府側から、明治新政府にバトンが渡された瞬間と言ってもいいと思います。「これからの日本を頼むぞ」と。

1868年7月 江戸を東京と改称
新政府軍が関東を制圧した後、新政府は江戸を東京と改称しました。
1868年9月 元号を慶応から明治へと改める
9月には元号を慶応から明治へと改めました。
そして、「天皇1代に元号は1つ」という一世一元の制がとられるようになりました。
五稜郭の戦いで終了
1869年5月に、函館(当時は「箱館」と書いていた)の五稜郭に立てこもって抵抗していた旧幕臣の榎本武揚らが降伏。これをもって戊辰戦争は終わりました。

最後の舞台は北海道でした。




まとめ
- 戊辰戦争は、危機感のなか行われた内戦
- スタートは鳥羽・伏見の戦い
- 明治新政府は、戊辰戦争を戦いながら体制を整えていった
- 新政府軍が五稜郭の戦いに勝って、戊辰戦争は終了した

動画でも解説












