ヒロシマとナガサキだけじゃ足りない
2022年6月に長崎(←人生初!)、7月に広島(←2回目)に行って、
長崎原爆資料館と広島平和記念資料館の展示を見てきました。
展示されていた被爆者の写真や服などの実物が持つ力は強烈で、平和について(というか戦争について)いろいろ考えさせられました。
広島も長崎も、日本人なら絶対に行くべき場所。
でも一方で「平和教育といえばヒロシマとナガサキ」といった形で、あまりにもヒロシマとナガサキに重点が置かれすぎているよなーって違和感も感じます。
言い換えると、先の大戦における被害者的な側面がフォーカスされすぎているのでは?という違和感。
実際、広島と長崎の資料館はどちらも被害者的側面の展示が主で、戦時中に日本が何をしたのか?に関してはあまり触れられていませんでした。
★★★
先の戦争において、日本は加害者でした。
もちろん「戦争という手段に打って出るしかなかったのは、追い詰められたからだ」という解釈もありますし、それはそれで決して間違ってはいないとは思います。
が、日本がハワイの真珠湾を先制攻撃したのは事実だし、マレー半島に上陸して東南アジアに侵攻していったのも事実です。
現地の人は被害者。日本人は加害者。
「戦争反対!」「平和を!」って思う時、僕はついヒロシマやナガサキのことばかり思い出してしまう。
「あの惨劇が繰り返されるのは絶対イヤ!だから戦争はダメなんだ」みたいな。
1945年8月6日と8月9日のインパクトが大きすぎて、つい被害者的な印象を抱いてしまう。
でも本来は、ヒロシマやナガサキと同じくらい、いやそれ以上に「日本が他国に対して行ったこと」を想起するべきなんですよね。
っていうと、日本人のおかげで現地の人も助かった側面もあるんだ…!ってなんとしても「日本は悪くない」論を貫き通したがる人が出てくるんですけど・・・一生言ってろって感じ
ヒロシマやナガサキのことを想起して構築される「戦争反対!」のロジックは、あまりにも一面的だし自己中心的だし身勝手です。
先の戦争において、日本人は加害者です。
その意味で、ヒロシマとナガサキについて学ぶだけじゃ足りません。
★★★
シンガポールの博物館では、日本に統治された数年間がまるで暗黒の時代かのように表現されています。
1942年、シンガポールは日本陸軍による軍政が敷かれて「昭南島」と命名された。
日本人はシンガポールにいたマレー人やインド人を泰緬鉄道の工事に駆り出した。
また、華人は冷遇され、抗日救国運動の「償い」として華人に強制献金を課したり、「抗日分子」「共産主義者」として粛清をしたりした。
その他、学校で日本語教育が強制されたり、伊勢神宮を模して昭南神社が造られたりと、「日本化」が行われた。
★★★
また、日本には加害者としての側面以外にも「仲間を犠牲にした」という側面もあります。
戦争では自分(多くの国民)の代わりに犠牲になる人がいます。日本の場合、例えば沖縄の人々がそうでした。
アメリカ軍が沖縄に上陸する直前、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の女子生徒が沖縄陸軍病院に看護要員として動員された(ひめゆり学徒隊)。
疎開は主に子供や高齢者が対象で、働ける年齢の生徒の疎開は条件が厳しかったため、彼女たちは学校と行動を共にするしかなかった
1945年4月に米軍が沖縄に上陸し、日米両軍の激しい攻防戦をスタート。
沖縄は「本土防衛の最前線」に位置づけられ、来たる本土決戦に備えるための時間稼ぎとして沖縄戦が展開された。
住民を巻き込む形で戦闘が行われ、多くの非戦闘員が犠牲に。
日本軍は住民の口から機密が漏れるのを防ぐため、米軍に投降することを許さなかった。
敗色濃厚となった6月18日、急にひめゆり学徒隊に解散命令が出される・・・(「今日からは自らの判断で行動するように!」)
沖縄戦については教科書にも書かれているので僕も十分知っているつもりでしたが、
現地で沖縄戦に関する展示を見て痛感しました。「こんな大事なこと、今まで全然知らなかった・・・」って。
★★★
先の大戦において日本は3つの側面を持っています。
- 被害者的側面
- 加害者的側面
- 仲間を犠牲にした側面
それぞれの側面について、学ぶのに適した場所が異なります。広島や長崎だけでは足りない。
ということで、
先の大戦について理解を深めるために、これからも旅を続けたいと思います!
そのために頑張ってお金を稼ぎます・・・(切実)