女系天皇は何が問題なの?わかりやすく解説【女系天皇と女性天皇の違い】
モチオカ(望岡 慶)
モチオカの社会科プラス

大輪田泊(おおわだのとまり)についてざっくりまとめました!
摂津国福原に近い古くからの要港。平清盛が拡張し、中世以降も兵庫湊・兵庫島と呼ばれ、繁栄した。
日本史用語集 改訂版 A・B共用
兵庫の港(兵庫津)は神戸港の南西にある港。



行基が整備した

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平清盛が私財を投じて荒れていた大輪田泊を整備した(→日宋貿易に活用)

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一ノ谷の戦い(源平合戦)の戦場の一つとなる
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僧 重源による改修を経て、兵庫津(ひょうご の つ)と呼ばれるようになった。
※平家によって焼かれた東大寺を再建するにあたり、山口で伐採した木材を運ぶために大輪田泊を活用する必要があった
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足利尊氏は鎌倉幕府滅亡後に建武の新政を行った後醍醐天皇に対抗し、後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成らと戦った(湊川の戦い)。
※兵庫津は西国から京都へ荷物を運ぶ重要な港だった。そのため、京都(政権)を掌握するうえで、兵庫津をおさえることが極めて重要だった(←その争奪戦=湊川の戦い)
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日明貿易の拠点港として栄えた。
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江戸時代には瀬戸内海経由の北前船と江戸・大坂間の定期航路の菱垣廻船・樽廻船の寄港地として栄えた。
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日米修好通商条約(安政の五カ国条約)により、兵庫が開港場となった(1863年開港予定)。
しかし、幕府は1862年にヨーロッパに使節を派遣して兵庫開港を5年先延ばしにしてもらった。

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1868年、兵庫に代わって神戸が開港された

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神戸港の発展とともに、地域の中心地が兵庫津周辺から東の方(元町、三宮)へと移動した

→神戸港については別記事で
