なぜ改名には「やむを得ない事情」が必要なの?
改名(氏名の変更)をするには「やむを得ない事情」「正当な事由」がある&家庭裁判所の許可が必要らしいんだけど、
※「やむを得ない事情」「正当な事由」=変更をしないとその人の社会生活において支障を来す場合
「やむを得ない事情」「正当な事由」がなくても自由に改名できますよ!ってことにすると、どんな不都合が生じるんだろう?
・・・
・・・
自分のことは自由に決めてOKな社会の方が居心地が良いと思うし、
親から与えられた名前を「やむを得ない事情」がない限り変えられない・・・ってのも、考えてみると理由がよくわからない。
改名したからといって誰かに多大なる迷惑がかかるわけではないと思うし、
改名が気軽にできるようになっても、改名しまくる人が続出するとは思えない。
なんで「やむを得ない事情」がなきゃダメなの?
改名が頻繁に行われると公的な身分証明が難しくなる・・・というのであれば、「改名は1年に1回まで」のような条件付けをすればいいよね。
・・・つーか氏名の変更が簡単にはできないのって、「国民一人一人を戸籍上の氏名で管理・把握する」のが前提だったからでしょ?
もはや国民一人一人に番号(マイナンバー)が振られていて、番号で管理するようになっているんだから、氏名が頻繁に変わっても大丈夫なのでは・・・?
文化人や芸能人はペンネームや芸名を使ってるわけだけど、
実は本人を特定する上で正式な氏名は不可欠!・・・っていうわけでないのかも、って気がしてきた。
身近な友人の名前が変わっても、(戸惑うかもしれないけど)正直、別に困らないよね。顔とか声とか喋り方とか性格とか、いろんなもので「その人だ」って識別しているわけで。
氏名は本人特定のための一要素に過ぎない。
となると、
個人が「名前を変えたい!」って思った時に、なんで裁判所の許可が必要なの?
個人が生きていく上で「今の名前じゃ困る!新しい名前が欲しい!」って思った時、変えていいかどうかのジャッジをなぜ他人が行うの?
←本人特定において重要な要素っぽい顔を自由に整形することができるのに
改名が自由になると、社会にとって一体どんな不都合があるのだろう。
何を実現するために、この日本社会では「改名はやむを得ない事情がなければ不可」ということになっているのだろう。
・・・
・・・
わからん!
まさか「改名が簡単にできるようになると、過去に罪を犯した人を特定できなくなっちゃうでしょ!」ってこと・・・?
- ヤバイ人を排除するため、
- 二度と社会復帰させたくない人を排除し続けるため、
- 「自分の名前は一生背負っていくんだから、下手なことするなよ?」って自分を戒めるため
に、簡単に改名できないようになっているとか・・・?