金沢1泊2日旅行記①(ひがし茶屋街、金沢城、兼六園、石川県立歴史博物館)【2023年11月】
2023年11月に金沢に行ってきました。
旅行の様子をメモっておきます!
1日目
7:15 羽田空港発(JAL)
往復で16,140円
8:15 小松空港着
飛行時間40分くらい?
着陸時にむっちゃ耳が痛くなった(古い機材を使っているから?)
バスで金沢駅へ
バスで移動(1,300円)
日本海
工場が多かった気がする
金沢駅
鼓門(つづみもん)
到着!おー
柱は鼓をイメージして作ったらしい(金沢の伝統芸能の加賀宝生の鼓)。だから鼓門なのね
もてなしドーム
多羽多雪地域の金沢において「駅を降りた人に傘を差し出す、もてなしの心」を表現しているらしい。
立体トラスとケーブルを使った構造で積雪180cmの荷重にも耐えられるとのこと。すごい
金沢駅観光案内所
パンフレットなどを物色
「外国人に人気なところは?」って聞いたら、やっぱり
- 金沢城
- 兼六園
が人気らしい。
「外国人があまり知らなそうで、おすすめな場所は?」って聞いてみたら、
- 「禅が好きな人が多いので、鈴木大拙館は知る人ぞ知る観光スポットになっている」
- 「兼六園は混雑しているけど、兼六園から鈴木大拙館に抜ける道が緑いっぱいで気持ちいいですよ」
って教えてくれました。ありがたや!
バスで ひがし茶屋街へ
観光案内所で1日バスフリー切符を購入(800円)
ひがし茶屋街へ移動
金箔ソフトクリーム(箔一)
とりあえず金沢と言えばこれ!っていうスイーツを食べる
金箔ソフトクリーム(891円)高え・・・
・北陸新幹線開通記念に限定販売でスタートした金箔一枚を使った豪華なソフトクリーム
・金箔は一瞬で消えた
・ソフトクリーム自体、結構おいしく感じた(値段のせいかも)
・イートインスペースでみんな(僕も含め)黙々とソフトクリームを食べてたんだけど、みんな何かと戦ってる感じがした(「ソフトクリームに891円も使ってしまった・・・でもせっかくだし…!」って自分を納得させるための戦い?)
金箔の理由
・石川県金沢市は金箔の総生産量の99%を占める産地
・北陸新幹線開通記念に限定販売でスタートしたのが定番化した
金沢で金箔生産が盛んな理由
・良質な水に恵まれ湿度が高いという北陸の気候風土が金箔生産に合っている
・1593年に加賀藩祖前田利家が金銀箔の製造を命じた
・江戸幕府が箔打ちを独占していた時代に、加賀藩が密造を続け、やがて免許の獲得に成功した
・金沢市や輪島市など、金箔を大量に消費する漆器や仏壇の産地が近くにあった
金箔の製造工程を紹介する映像で金箔づくりの大変さがよくわかった。時間と手間かかりすぎ。これで儲かるの?
たいして儲からないから、他の地域が参入しないのかも?
茶屋街を散策
ひがし茶屋街とは
・江戸時代、金沢城下から越中を結ぶ北国街道沿いの地域として人や物資が行き交っていて、寺社で行われる行事や茶屋で楽しむ人々で賑わっていた
・加賀藩は世俗を取り締まって武家社会の治安を保つため、1820年に地域を制限して茶屋町の開設を許可した
1階部分は出格子、2階部分は吹き放し(柱だけで、壁や戸などの建具のない空間)の座敷
軒先のトウモロコシ
「門守(かどもり)」という金沢の魔除けの風習らしい
徒歩で金沢城へ
金沢城跡
金沢城の立地
- 2つの河川(犀川と浅野川)に挟まれた場所
- 丘陵地帯(小立野台地)
- 北国街道沿い
金沢は陸路においても重要な場所だったのね!
※北国街道(北陸道)→国道8号や北陸自動車道
歴史
・1546年、加賀一向一揆の拠点として金沢御堂が置かれていた
・1580年、織田信長の重臣柴田勝家の軍勢に攻略された
・1583年、前田利家が城主になった
・江戸時代を通して加賀藩前田家の居城として発展した
・明治維新後、藩主は城外に移って城は軍用地になった
・第二次世界大戦後は金沢大学の城内キャンパスとして利用された
・大学移転後の2001年に公園として一般開放された
休憩場所のパノラマビューは気持ちいい。ここはおすすめ。
より一層高いところにある本丸はほぼ森(標高約60m)。城下町との標高差は約30m。
1600年頃に落雷で本丸の天守閣が焼けてしまって、それから再建されずに今に至るのだとか。
江戸時代に徳川氏が支配を確立して平和な時代が訪れたから、わざわざ高台に建物を作る必要がなかった(ましてや豪華な天守閣を作る必要なんてなかった)っていうことだと思う。
金沢城に関する説明・展示がほとんどなくて、学びが得られない
何もない場所っていう印象
→どうやら再建の途中だからっぽい
てか100名城スタンプ帳忘れた・・・
兼六園
石川県立歴史博物館にも入れるチケットを購入(500円)
兼六園とは
・江戸時代の回遊式大名庭園
・広大・幽邃、人力・蒼古、水泉・眺望の六勝を兼備するという意味で「兼六園」と命名された
冬の風物詩「雪吊り」
大きな大きな庭園。財力を感じる。
雨が降ってきた
金沢城+兼六園の組み合わせは外国人観光客にとっても定番らしいけど、あまりにも何もなさすぎてこれだけじゃ退屈なのでは・・・?
徒歩で移動
昼食(どんすきー)
石川県立歴史博物館に行く途中で見つけたうどん屋さんで昼食。つかここくらいしかレストランなかった。
名物 酒うどん(990円)
・地元酒蔵から仕入れた酒から出る酒粕を自慢の出汁とブレンドした
・自家製麺を使っている
・酒の風味がほんのりする
・まあまあおいしい
・麺にこだわりがあるっぽい。少し硬めでコシがある
・麺は確かにおいしかった
徒歩で移動
石川県立歴史博物館
明治末から大正初めに建造された旧陸軍の兵器庫を活用した博物館
奈良から平安時代には渤海が34回も日本へ使節を送り、その多くが北陸地方を経由した
「百姓ノ持タル国」
惣村の発達を背景に、一向宗門徒の集団が形成されて強く結束
→1488年、加賀藩守護の富樫政親が一向一揆の大軍に攻められて自害
→一向一揆が加賀藩を治める体制が約100年続く
17世紀に大坂と蝦夷地とを直接結ぶ北前船の航路が開かれた
→日本海側の流通圏が飛躍的に拡大
金沢は人口の約半数が武士だった
→武士の経済力があってこそ、金沢は大都市として発展することができた
→しかし明治維新後、武士が一挙に俸禄を減らされたことにより武士の経済力が下がり、結果的に景気が沈み込んでしまって金沢は衰退してしまった
紀尾井町事件
大久保利通は暗殺したのは石川県の士族
1898年、北陸線が金沢に到達(敦賀ルートで阪神地区と接続)
なぜ金沢が発達したのか?
①河川と重要な街道が交差する場所(→価値の交換をしやすい)
- 2つの河川が流れる(→水運の利便性が高い&水資源が豊富)
- 古代から国際的な港だった(渤海との交流)
- 国内海運の要衝(北前航路)
- 陸路の要衝(北国街道)
②稲作に向いた土地(→価値の創造をしやすい)
- 冬の降雪が多いため、大量の水(融雪水)を利用できる
- 冷害が少ない
- 米の品種改良や栽培技術の向上が不十分だった時代は、寒いところ(東北地方・北海道)では稲作はしづらかった
- 人口が多い
※稲作の重要性が極めて高かった時代(〜江戸時代)において、金沢周辺は日本屈指の「価値創造」エリアだった
③人口が多い(→消費が旺盛)
- 加賀100万石ということは、(超単純計算だけど)100万人を養うことができる地域だということ
1石=1000合で、米1石の重さは約140kg。
この米1石は大人1人が1年間で消費する米の量とほとんど同じ量
なので、「石高が1万石の土地」っていうのは単純計算で「大人を1万人養うことのできる土地」ということ。
(※ただ、与えられた土地すべてが田んぼっていうわけではなく、「畑」や「屋敷地(家が建っている土地)」の価値も米の量で換算して石高を決めています。なので、1万石の土地だからと言って、大人を1万人養うことのできるお米がそのままゲットできる土地というわけではない、ってところは要注意!)
金沢はなぜ衰退したのか?
金沢の発達要因となった要素が失われた!
①「価値の交換をしやすい」場所ではなくなった
- 先に太平洋側で鉄道網が発達したため、経済の中心地である東京や大阪からの遠さが際立つことになった
- 鉄道の普及(1898 北陸線:敦賀ルートで阪神地区に通じる北陸線が完成→北前航路の重要性が著しく低下)
②「価値の創造をしやすい」場所ではなくなった
- 稲の品種改良や栽培技術が向上し、東北地方・北海道でも稲作を行いやすくなって金沢周辺の相対的地位が下がった
- 農業機械の発明により人口が多いことのアドバンテージが徐々に失われた
- 産業革命とともに農業ではなく高付加価値の産業が発達し、稲作が盛んな金沢周辺の相対的地位が低下した
- 金沢が富山から切り離された
③「消費が旺盛」な場所ではなくなった
- 武士が一挙に俸禄を減らされたことにより武士の経済力が下がった
※士族のリストラ(→だからこそ大久保利通を暗殺したりした)
もしかすると「第二次世界大戦で戦災を受けなかったために再開発できなかった」ということも衰退要因かもしれない。
ライトアップされた鼓門
赤にライトアップされるとかっこいい!
ホテル日航金沢
ホテル日航ってロビーからレストランまで、なんか設備がトゥーマッチな気がする。やたら豪華。これで採算とれてるの?
今回の部屋はこちら。1泊2日(14,051円)
このクオリティで1万円ちょっとは安すぎる。たぶんロンドンだったら5万円以上するレベル。
風呂が別なのはうれしい!
24階からの夜景。キレイ!
ゴーゴーカレー金沢駅総本山
ロースカツカレー小盛り(850円)
・チャンピオンカレーの創業者 田中吉和が「金沢カレーのレシピを最初に作った」らしい(レシピとは・・・乗せ方を工夫しただけなのでは、、)
・中国系のお客さんがたくさんいた(欧米の人はほとんど見なかった)
・こういう甘めのドロドロカレー大好き
金沢駅のお土産屋さんを物色
羽二重餅
和菓子多いなあ
和菓子が多い理由
・茶の湯が盛んだったから