【日本史】院政をわかりやすく:なぜ中世は院政から始まるのか?

院政について説明します。
院政とは
院政とは、「天皇の位を譲った上皇が、自分の子孫にあたる天皇をサポートする形で権力を握った政治のあり方」のことです。
院政が行われる前は摂関政治が行われていましたが、なんで摂関政治が終わって院政が始まったのか?について、まず説明します。

摂関政治が終わって院政が始まった理由
摂関政治
藤原氏は、自分の娘を天皇の后にして、生まれた子供を天皇にすることで、権力を握っていました。
天皇の母方のおじいちゃんになることで、天皇と血のつながりを獲得して、発言力を高めていた。
で、摂政や関白っていう役職につくことで、政治のリーダーシップをとっていました。これが摂関政治。

藤原頼通の娘が男子を産まず
ところが、権力を握っていた藤原頼通は問題に直面します。
自分の娘を天皇の后にするところまでは良かったんですが、その娘がなかなか男の子を産んでくれなかった。
だから、「自分と血のつながりがある人が新しい天皇になることで、権力を握る」っていう作戦ができなくなってしまいました。
藤原氏と血のつながりが薄い後三条天皇が即位
で、結局1068年に藤原氏と血のつながりが薄い人が新しい天皇になることになりました。この天皇が後三条天皇です。

この結果、藤原氏の発言力はダウン。
後三条天皇は自らリーダーシップをとって、荘園の管理を強めるなどの政治改革を行いました。
この荘園の管理を強める政策のことを延久の荘園整理令って言います。

とにかく、藤原氏じゃなくて、天皇自らリーダーシップをとって政治を行うようになった、っていうところがポイントです。
ところが。
白河天皇が院政を始める
後三条天皇の登場によって、昔みたいにまた天皇がリーダーシップをとって政治を行う体制に戻るかと思いきや、次の天皇である白河天皇は、8歳の息子に天皇の位を譲って、上皇として天皇をサポートする形で政治を行おうとしました。
この新しい政治のあり方を院政と言います。院政は、白河上皇・鳥羽上皇・後白河上皇と100年くらい続くことになりました。
白河天皇がなんでこんなことをしたのか?というと、自分の直系の子孫(子・孫)に皇位を継承させようと思ったからです。

家族のあり方の変化
ちなみに、この院政の時期くらいから家族のあり方も変わっていました。
摂関政治が行われていた時は、結婚した男女は妻の方の家で生活して、妻の両親と生活するのが一般的でした。子供を母の方の家で育てることが多かったということ。
サザエさんでいうと、新しい天皇であるタラちゃんはお母さんのサザエさんの家(磯野家)で生活していて、母の方のおじいちゃんである波平の影響を受けました。この波平が藤原氏です。

ところが、院政の時期くらいから、「結婚した男女は妻の方の家で生活して、妻の両親と生活する」っていうのが薄れてきていました。
子供に対する母の方の家の影響力(波平の影響力)が弱まって、父の方の家の影響力が強くなってきていた時期だったということ。
サザエさんでいうと、新しい天皇であるタラちゃんは波平とは暮らさず、マスオさんの家で暮らすようになったということです。
だからこそ、母方の祖父(波平)が権力を握る摂関政治が成立しにくくなり、天皇の父(マスオ)が権力を握る院政が成立するようになったのです。
院政はどんな政治だったのか?
では、院政はどんな政治だったのか?についてです。
ルールや今までの決まりを無視して、自分の思い通りに政治を行う
院政では、上皇が天皇家の家長(家族のトップ)という発言力がむちゃくちゃ大きい立場から、法や慣例にこだわらずに専制的に(思うままに)政治を行いました。
正式に(公的に)権限を持っていたわけじゃなくて、正式じゃない形で、私的に政治に介入していった。
- 例えば、自分の考えを天皇や摂政・関白に伝えたり、上級貴族を上皇がいる場所(院)に集めて話し合わせたり、っていう感じ。
- さらに、その話し合いの場所に集める人を身分にとらわれずに自由に決めたりもしました。
上皇とお近づきになれると権力を握れる
摂関家
その結果、権力を握るためには上皇とお近づきになることが必要になったので、摂関家も上皇と結びつくことで自分の地位を維持しようとしました。
受領
あと、地方の政治を任されている役人を国司と言い、ある地方を任されている国司の中のトップの人を受領と言います。
受領はおいしい役職でした。
受領は朝廷から「税さえ納めてくれれば、地方をどう支配してもいいよ」って言われていたので、農民から税を結構多めに集めて、余った分を自分の財布に入れる、みたいなことができました。
なので、「受領をやりたい!」っていう人が結構いた。そういう人たちは、上皇をヨイショする。
- 例えば、上皇は仏教を信仰するのに熱心で、「寺院を作りたい!」って思っていました。
- 受領に任命してほしい人は、その事業を請け負います。
- すると、寺院を作る代わりに、受領に任命してもらうことができたりします。
むちゃくちゃです。上皇との関係、コネクションがものをいう時代になりました。
中世とは
こんな感じで、上皇は法や慣例にこだわらずに専制的に政治を行いました。
それでいいのかよ?って思うかもしれませんが、この時代はもう「社会を動かすのは法(ルール)じゃなくて実力だぜ」っていう雰囲気になっていたということです。
この「社会を実力で動かそうとする時代」を、まとめて中世って言います。
中世は戦国時代まで続きます。
戦国時代って「社会を実力で動かそうとする時代」ですよね。(ちなみに、戦国時代が終わった後の時代を近世と言います)

中世の前は古代です。律令国家って、仕組みを作って法に基づいて社会を動かそうとしていましたよね。
が、その法が全然機能しなくなって、「社会を動かすのは法(ルール)じゃなくて実力だぜ」っていう中世になった。
ということで、一般的に、中世のスタートは院政の頃からってことになっています。














