【日本史】なぜ室町幕府は衰えた?一揆とは?わかりやすく

室町時代の後、日本は戦国時代に突入します。
どのように室町幕府の力が衰えたのでしょうか?このことについて説明します。

室町幕府の力が衰えた
室町幕府は、幕府がむちゃくちゃ力を持っていて日本全体を従わせていた、っていうわけではありませんでした。
将軍が、力を持っている武士を守護に任命して、その守護が地域を支配していました。(そのような力を持った守護は守護大名って呼ばれるようになった)

だから、将軍が守護に任命しているとはいえ、守護大名がいるからこそ室町幕府は全国を支配していたわけです。
なので、将軍とその守護大名との絶妙なバランスが崩れると非常にマズい。
ただ、4代将軍足利義持の時代までは、将軍と有力な大名達とのバランスが保たれていて、室町幕府の全国支配は安定していました。

将軍と守護大名の力関係が崩れる
ところが、このバランスが6代将軍足利義教の時代に崩れてしまいます。
足利義教が6代将軍に
4代将軍の足利義持は1423年に将軍を辞めて、子供の足利義量が5代将軍になりました。
ですが、足利義量は病弱で1425年に17歳で死んでしまいます。
足利義量には子供がいなかったので、彼が死んだ後、お父さんの足利義持が将軍の代わりとして実質的に将軍の仕事をすることに。

ところが、なんと足利義持も1428年に死んでしまいます。
この結果、6代将軍を誰にするか?っていう問題が生じました。
で、「どうするよ?」って大名たちが話し合った結果、石清水八幡宮っていう神社でくじ引きをすることに。
くじ引きの結果、足利義持の弟の足利義教が6代将軍になることになりました。

足利義教が恐怖政治を行う
この足利義教がバランスを崩してしまいます。
足利義教は、独裁的な政治をしてしまった。周りの人がビビっておしっこを漏らしそうになるくらい怖い政治を行ったみたいです。
そうなると当然、大名たちは不満です。
1441 嘉吉の変
で、1441年に有力守護の一人である赤松満祐っていう人が足利義教を殺してしまいます。(嘉吉の変:かきつのへん)

将軍の権力が衰え、大名が対立
将軍がいるからこそ力を持った全国各地の大名たちがまとまることができていましたが、その将軍が殺されてしまった。しかも、その後は10歳くらいの幼い男の子が将軍になった。
この結果、将軍の権力が衰えてしまって、有力な大名が幕府の政治の主導権を握ろうと争い始めることに。
で、大名たちが2つの勢力に分かれて争うことになり、室町幕府は内部対立してしまうことになりました。

農民の生活が苦しくなって、一揆が結ばれる
室町幕府の力が衰えた原因は「大名たちが対立したこと」だけではありません。
社会で混乱・運動が起きたのも原因です。農民の生活が苦しくなって、貧しい人が増えた。
農民が借金を重ねる
室町時代には、土倉や酒屋などのお金を貸す業者(金融業者)に対して、借金を重ねている農民がいました。
荘園で生活をしている農民は、その土地の所有者である荘園領主に対して年貢を納めることになっています。で、土地によっては、その年貢を集める仕事を土倉や酒屋が代わりにやったりすることもあったようです。
ところが、なかにはその年貢をちゃんと納めることができない農民もいた。
しかも、室町時代は気候の影響で農作物が全然取れない年が結構あって、かなりの農民の生活が苦しくなっていました。
そういう時に、お金を貸す業者である土倉や酒屋は「じゃあお金を貸してあげるから、これで年貢を納めたことにしてね」って言うわけです。
こんな感じで借金を重ねていって、生活がぶっ壊れていく農民がいました。

正長の土一揆
そんな中、1428年に足利義持が死にました。で、足利義教が6代目の将軍になると、ある事件が起きました。
農民が「借金を帳消しにしろ!」って言って、貧しい暮らしをしている武士たちと一緒に京都にある土倉・酒屋などを襲った。
これを正長の土一揆と言います。

中世では、「将軍の代替わりの時に社会が”あるべき状態”に戻る!」っていう考え方が一般的だったみたいです。
ってことで、6代目将軍が誕生した時に、正長の土一揆っていう借金の帳消しを求める運動が起きました。
嘉吉の土一揆
1441年には、6代将軍足利義教が有力守護の赤松満祐っていう人に殺されてしまいます。将軍の代替わりですね。
ってことで、やっぱり1441年に「借金を帳消しにしろ!」っていう運動が起きました。
これを嘉吉の土一揆と言います。

「借金を帳消しにしろ!」っていう運動が起きるくらい、農民の生活が苦しくなって貧しい人が増えていたっていうことです。社会が混乱しています。
一揆とは?
ちなみに一揆っていうのは、一人では実現が難しい目的を達成するために団結すること(団結した集団)を言います。
- 一揆に参加する人々が神社に集まって、「みんなで団結するぞ。裏切らないぞ。」って誓い合う。
- で、みんなが署名をして、その文書を燃やします。
- その灰を神水(しんすい)っていう水に溶かして、全員で回し飲みするんです。
- 儀式の時には鐘を鳴らしたようです。
金属音が鳴り響いて焦げた匂いがただよう神社で、「団結するぞ」って誓い合って回し飲みをすると、確かに気分が高まりそうですよね。
こうして、一人では実現が難しい目的を達成するために、人々は団結をしました。これが一揆です。

このような団結のベースにあったのは惣村っていう農民の自治組織です。村では、農民が自分たちで地域を運営していました。
例えば、寄合っていう会議をしたり、自分たちの村独自のルール(惣掟)を定めたり。
まとめ
6代将軍足利義教の時代から、大名たちとのバランスが崩れてしまい、将軍が殺されることになってしまいました。
その結果、将軍の権力は衰えてしまって、大名たちが幕府の政治の主導権を握ろうと争い始めることになります。
一方、農村では自治組織が作られていて、団結のベースができていました。
そんな中で、借金を重ねたり、気候の影響で農作物が全然取れなかったりして、生活が苦しくなった農民が増えました。
で、農民は、将軍の代替わりを理由にして「借金を帳消しにしろ!」って暴れ出す事件を起こしました。
こんな感じで、大名たちが対立した上、社会で混乱・運動が起きることになって、室町幕府の力が衰えていくことなりました。
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