【日本史】源平の争乱をわかりやすく

源平の争乱について話をします。
源平の争乱の流れ
平清盛と後白河上皇の関係が悪化
平清盛は後白河上皇を助けることで権力を強めていったのですが、なんと平清盛と後白河上皇の関係はだんだんと悪くなっていきました。
自分よりも下の存在だった人が力を握ると、嫉妬して「うぜええええ」って思っちゃう、っていう感じなんですかね。

で、平清盛は反抗します。
1179年に後白河上皇を鳥羽殿(とばどの)っていう場所に閉じ込めて、自分たち(平氏)に反発する貴族を処罰しました。
こうして平氏が独裁的な権力を握って平氏政権ができ上がったのですが、やっぱり周りの人からすると「平氏め、ふざけんなよ」って感じですよね。
以仁王が平氏打倒を呼びかける→治承・寿永の乱
そこで、後白河上皇の子供である以仁王(もちひとおう)っていう人が、「みんな、平氏を倒すぞ!」って声を上げました。
この声は各地に伝わって、
- 木曽(長野)で源義仲が、
- 伊豆(静岡)で源頼朝が兵を挙げる
など、各地で戦いが広がることになりました。この戦いは5年続きます。(治承・寿永の乱)

なんで各地で戦いが同時に起きたのか?というと、自分の土地を守り、さらに広げるためっていうのもあります。
平氏とそんなに仲が良くない人からすると、いつ自分の土地を平氏に奪われるかわからないですよね。これ以上、平氏が力を持つと、富の基盤である土地を奪われる可能性があります。
一方で、この戦いをきっかけにして平氏の土地を奪うことに成功すれば、自分の土地をさらに広げることができます。
ある意味、チャンスです。一か八かではありますが。
源頼朝と東国の武士団の関係が深まる
じゃあ、このチャンスの状況で、自分の土地を守りたい人は誰についていくのか?
誰に協力すれば、自分にとってプラスになるのか?っていうのを真剣に考える。
で、最終的に選ばれたのが、源頼朝でした。源頼朝は伊豆で兵を挙げて、鎌倉を本拠地にします。

で、「平氏を倒すぞ!」っていう戦いの中で、自分の土地を守りたい人(特に東国の武士団)と源頼朝がだんだんと関係を深めていきました。
「源頼朝についていけば、自分の土地は守れそうだ」って判断した人たちが、源頼朝のもとに集まってきたということ。
壇ノ浦の戦い
そして、源頼朝は平氏をだんだん西の方に追い詰めていって、自分の弟である源義経などを派遣して平氏と戦わせて、1185年に壇ノ浦の戦いで平氏政権を滅ぼすことに成功しました。















