【日本史】桓武天皇の政治をわかりやすく

桓武天皇が行ったことについて説明します。
- 国司の仕事をチェックする制度を作った
- 調庸を確保するために、それ以外の負担を軽くした
- 坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命した
律令体制をイメージ通りに実行できず
律令国家の支配には、どこにどれだけの人々が住んでいるか?を正確に把握することが必要です。
これがものすごく大変でした。
大変だった理由は、2つおさえておけばOKです。
浮浪・逃亡した人が続出
1つ目は、人々が戸籍・計帳に登録された場所から離れちゃったから。
別の良い場所を見つけてそこに住みつくようになったり、負担から逃れるために行方をくらませたりした人が続出しました。

特に「負担から逃れるために行方をくらませた」っていうのが大事です。
運脚とか最悪だし、兵役は単純にイヤですよね。それで、逃げ出しちゃう人がたくさんいました。

この、登録された地域(本籍地)から離れることを浮浪・逃亡と言います。
- 浮浪はまだ良かった。本籍地とは別の場所で調庸を納めているから。
- が、逃亡は大問題でした。本当に行方不明になっちゃって調庸を納めてすらないっていう状態だったので。
偽籍が続出
2つ目は、戸籍や計帳の内容が不正確になったから。
律令国家では、租は6歳以上の男女が負担しましたが、それ以外の調や庸や兵役などは男性が負担しました。しかも、年齢によって負担する量に差もあった。
だから、うまくやれば負担を少なくすることができます。

税を集めるための名簿である計帳は、毎年、グループのボスである戸主が提出する自己申告書に基づいて作成されていました。
となると、自分が戸主だったら何を考えるか?「どうやったら負担を少しでも少なくできるだろう?」って考えますよね。
で、この時期の名簿を見てみると、不自然に女性の人数が多かったりした。どう考えても、負担を逃れるためにわざと女性を多くしています。
こんな感じで、戸籍や計帳を偽ることを偽籍(ぎせき)と言います。この偽籍が、だんだんと増えていきました。うまいことやって、人々は負担を少なくしようとしたわけですね。
ちなみに、この偽籍は、戸籍作成の責任者である国司がわざと行うこともあったらしいです。自分のミス(税を取る量をミスった、とか)を隠したり、税を自分の懐に入れたりするために。すごい世界です。
桓武天皇は対策を講じた
「どこにどれだけの人々が住んでいるか?を正確に把握する」っていう、律令国家の支配の大前提が崩れてしまいました。
(=国家が土地と人々を支配する「公地公民」の原則の、公民がうまくいかなくなった)
そこで桓武天皇は対策をしました。
- 国司の仕事をチェックする制度を作った(by桓武天皇)
- 調庸を確保するために、それ以外の負担を軽くした(by桓武天皇)

この2つ目が特に大事です。
いろいろと負担を軽くしましたが、その軽くなった負担の中には、兵役もありました。桓武天皇は、一部の地域をのぞいて兵役を廃止します。
- それまでは全国各地に軍団っていう軍隊が置かれていた
- →それをやめて、戦いが上手い人を選抜して少数精鋭部隊を作ることにした

しかし効果はあまりなく
対策を講じましたが、状況はあまり良くはならず。
むしろ、国司が税を集めようとした時に、そこから実力で逃れようとする人々が現れたりもしました。
実力での税逃れは2パターンです。
1つ目は、「この土地は皇族や貴族の土地だぞ」っていう方法。国司は皇族や貴族とズブズブの関係になっていたりしたので、「この土地は皇族や貴族の土地だぞ」って言われると、「マジかよ、それじゃ税は取れないわ…」って断念します。
2つ目は、集団で武装するっていう方法。農民たちがみんなで武装して、武力でもって税から逃れようとしました。
このように、律令国家もだんだんと無法地帯のようになっていきました。中国のマネをして、あれだけのシステムを整えたのに。
結局、地方政治のあり方を転換
律令国家はさらに対策をしました。
国司の中のトップの人(受領)に権限を集中させて、「税さえ納めてくれれば、地方をどう支配してもいいよ」とした。
このように、律令国家は「どこにどれだけの人々が住んでいるか?を正確に把握する」のを諦めて、税を集められればそれでOKという方式に転換しました。

坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命
最後に、桓武天皇がやったこととして「蝦夷征討」について説明をします。
桓武天皇は、797年に坂上田村麻呂っていう人を征夷大将軍に任命して、東北地方に大軍を派遣しました。
(征夷大将軍は、蝦夷を征伐するためのバトルの指揮をとる人)
背景
当時の律令国家は、まだ日本列島全部を支配しているわけじゃありませんでした。言い換えると、東北地方はまだ律令国家の支配に従っていませんでした。

東北地方に住んでいて、律令国家の支配に従わなかった人々を、蝦夷(えみし)と言います。

この蝦夷を、律令国家はなんとか従わせようとします。
でも蝦夷からしたら「なんでオマエらにしたがわなきゃいけないんだよ」って感じだから、抵抗していました。東北地方ではバトルが頻発。
律令国家は、なかなかこの「東北地方を従わせるプロジェクト」を成功させることができていませんでした。
そこで、桓武天皇は蝦夷征討プロジェクトを終わらせるべく、坂上田村麻呂っていう人を征夷大将軍に任命して、東北地方に大軍を派遣したのです。

アテルイを降伏させることに成功
坂上田村麻呂は当時激しく抵抗していた蝦夷の指導者であるアテルイっていう人を降伏させることに成功しました。
結果、律令国家は支配を北の方へと拡大することができました。














