【日本史】摂関政治をわかりやすく:なぜ摂政と関白が力を持つようになった?

摂関政治は「摂政・関白がリーダーシップをとって行う政治のあり方」のこと。藤原氏っていう貴族が、摂政や関白になって権力を握りました。
なぜ摂関政治が行われるようになったのか?
その本質を伝えるために、平安時代の始まりから話をします。

なぜ摂関政治が行われるようになったのか?
桓武天皇が794年に都を平安京に移してから、鎌倉幕府が成立するまでの約400年間を平安時代って言います。

なんで桓武天皇が都を移動させたのか?
これは、奈良時代に起きた政治の混乱から、政治を立て直すためだと言われています。奈良時代は、天皇の皇位継承をめぐる貴族の権力争いが起きて、混乱していました。
この混乱について、くわしく話をします。(大事なので)
朝廷での権力争い
律令国家の政治は、太政官の中のランクが高い人たちが話し合いをして、その結論を天皇が決済をするっていう形で行われていました。
この太政官の中にいる人たちが貴族です。(のちのち、藤原氏だらけになる)
貴族からすると、話し合いの中での自分の発言力を高めたい。なので、あの手この手で発言力を高めようとしました。

自分の娘を天皇と結婚させる
例えば、自分の娘を天皇と結婚させるっていう方法。天皇と親戚になるってことです。そうすると、太政官の中での話し合いで発言力が増しますよね。
他氏排斥
他には、ライバルとなる貴族をぶちのめすっていう方法。
これはシンプル。
上皇に近づく
あと、上皇側につくっていう方法。
上皇っていうのは太上天皇(だいじょうてんのう)の略で、天皇の位を後継者に譲った天皇に与えられる称号です。
この太上天皇は奈良時代に天皇と同じくらいの権力を持っていました。というのも、太上天皇が天皇の面倒を見ていたからです。

だから、もし天皇と太上天皇が対立すると、朝廷が分裂する恐れもあった。
実際、奈良時代には天皇と太上天皇の争いが何回か起きました。
こうやって、あの手この手で貴族は自分の発言力を高めようとしたわけです。あの手この手がうまかったのが、あの藤原氏です。
奈良時代は政治が混乱
ただ、奈良時代の終わりの方では、この権力争いの中に、なんと仏教の僧が混じったりもしました。
で、桓武天皇が誕生。桓武天皇は、「政治を立て直すぞ!」っていう思いで、都を移動させます。784年に平城京から長岡京っていうところに都を移動。
が、そこでちょっとトラブルがあって、結局794年には平安京に都を移すことにしました。

長岡京も平安京もどっちも京都盆地です。長岡京は京都盆地の真ん中あたり、平安京は京都盆地の北の方です。
平安京には平城京から寺院を移転しなかった。これ、結構大事です。
- 奈良時代がスタートする時、藤原京から平城京に都を移す時には寺院を移転しましたが、
- 平安時代がスタートする時、平城京から平安京に都を移す時には寺院を移転しませんでした。
これは、奈良時代に仏教の僧も混じって争いが起きたから。政治と仏教をいったん切り離すために、奈良時代の寺院は移転しなかった、っていうことです。
(→だから、奈良には今でもお寺がたくさん残っていて、修学旅行先になっている)
嵯峨天皇は天皇の権力を強化
806年に桓武天皇が死ぬと、また天皇と太上天皇の対立が起きました。
その争いに勝った嵯峨天皇っていう人は、「このままじゃマズい」ってことで、いろいろと改革をします。天皇の権力を強化するための改革です。
ここで上皇の権力が落ちることになりました。
それまでは太上天皇の称号は、位を譲った時点で「自動的に与えられるもの」だったらしいんですけど、この嵯峨天皇の時から、「新天皇から与えられるもの」になったみたいです。
天皇の権力が強まった結果、天皇と関係が近くて深い人(貴族)が、ますます発言力をアップさせることになります。

天皇に近い人が発言力を持つ時代になり、藤原氏が勢力を伸ばす
天皇にすり寄っていくのがうまかったのが、藤原氏でした。
藤原氏は、2つの方法で発言力をアップさせていきます。
自分の娘を天皇と結婚させる
自分の娘を天皇の后(妻)とし、生まれた子供を天皇にします。これを、外戚政策って言います。
つまり、藤原氏は天皇の母方のおじいちゃんになろうとした。
なんでこれで発言力をアップさせることができるかというと、当時は子供を母の方の家で育てることが多かったからです。
結婚した男女は妻の方の家で生活して、妻の両親と生活するわけです。
サザエさんのマスオさん状態です。マスオさんってサザエさんと結婚して、サザエさん(母の方)の家で子供を育てていますよね。
サザエさんで言うと、藤原氏は誰か?

・・・
・・・
・・・
波平です。波平は自分の娘(サザエ)を天皇(マスオさん)の后にして、生まれた子供を次の天皇にしようとするわけです。
サザエさんとマスオさんの子供であるタラちゃんは、サザエさんの家(磯野家)で育つことになるので、おじいちゃん(波平)の影響をすごく受けます。
こうやって、藤原氏は天皇に近づいて発言力をアップさせていきました。
ライバルとなる貴族をぶちのめす
と同時に、ライバルとなる貴族をぶちのめすっていう方法も使いました。
これが、発言力をアップさせる方法の2つ目です。
こうして、藤原氏は権力を握っていきました。
摂関政治の本質
ただ、あくまで律令国家の政治は、太政官の中のランクが高い人たちが話し合いをして、その結論を天皇が決済をするっていう形で行われていました。

なぜ摂政と関白が政治を行ったのか?
嵯峨天皇の時期に天皇の権力が強まりましたが、その天皇自身が幼かったりすると、その天皇が決済の判断とかはできないわけなので困ります。
そこで、天皇の権限を代行する摂政っていうものが必要になります。
また、天皇の権力は絶大ですので、天皇自身の能力が高いか低いか?は極めて重要。天皇が大人だったとしても、能力的に問題があったりした場合、やっぱり困ります。
そこで、天皇の補佐をする関白っていうものが必要になります。
つまり、こういうことです。
- 天皇の権力が強まった結果、天皇の年齢・能力・資質に政治が左右されやすくなった。
- そこで、天皇の年齢・能力・資質に左右されずに、しっかりと政治が行われるようにするためにも、天皇のサポートをする摂政と関白の役割が重要になった。
これが摂関政治です。

単に中国のマネをしていた段階から、1個、階段をのぼって、日本のオリジナルな部分が生まれたと解釈できます。
その摂政と関白の職につくことになったのが、天皇に近づいて発言力をアップさせていた藤原氏でした。
あくまでポイントは、藤原氏は天皇と近い関係を築いたから発言力がアップした、っていうことです。(摂政と関白になったから、ではない!)
まとめ
- 摂関政治とは、「摂政・関白がリーダーシップをとって行う政治のあり方」のこと。
- 天皇の権力が強まった結果、天皇の年齢・能力・資質に政治が左右されやすくなった。
- そこで、天皇の年齢・能力・資質に左右されずに、しっかりと政治が行われるようにするためにも、天皇のサポートをする摂政と関白の役割が重要になった。
- その結果、摂関政治が行われるようになった。














