九州地方

長崎原爆資料館に行ってきた【2022年6月】

モチオカ(望岡 慶)

長崎の原爆資料館に行ってきた記録です!

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長崎原爆資料館

長崎駅から電車と徒歩で約20分のところに長崎原爆資料館があります(観覧料:大人200円)。

1945年へと時代を遡るスロープを下りていった先が展示室。

展示室の様子を紹介する前に、、、

もともとは小倉に原爆が落とされるはずだった

という話をざっくりまとめておきます。

もともと8月9日の原爆投下の第一目標は陸軍の兵器工場があった小倉(福岡県)でした。

しかし当日の小倉上空は天候の関係で視界不良。

その結果、小倉への原爆投下は中止になり、次の目標地である長崎に原爆が落とされることになりました。

このような経緯から、小倉の地には平和祈念碑が設置されています。

くわしくはWikipediaをじっくり読んでいただければ…と思います。

8月9日午前11時2分

1945年8月9日午前11時2分、長崎の上空で原子爆弾が炸裂しました。

被曝直後の長崎の惨状が再現されたエリアです。

原爆投下直前に撒かれた(と言われている)ビラ。

※ビラが本当に原爆投下前に撒かれたのかについては、諸説あるっぽいです。

「沖縄の次は日本本土だぞ」…怖すぎ

原子爆弾ファットマン

これが長崎に投下された原子爆弾ファットマンです。長さ3.25m、直径1.52m、重さ4.5t。

広島に投下された原爆リトルボーイ(ウランを使用)と違ってプルトニウムが使われています。

原爆による火災の範囲が図示されていました。

想定よりも北の方に原爆が落ちて炸裂した関係で、長崎の中心街はあまり燃えなかったようです。

※だからこそ中華街やグラバー園が現代まで残っている。

原子爆弾による死者は約7万人、負傷者も約7万人とのこと(1945年8月当時の長崎市の人口は24万人)。

核兵器開発

核兵器開発の歴史や戦後の国際情勢に関する展示エリア。

たくさんの国が核弾頭を現在でも保有しています。

長崎原爆資料館に行って考えたこと

戦争がなくならない理由の一つに「開発した新しい方法・戦術・技術を実戦で試してみたい…!」っていう人間の欲求があるのでは?って思いました。

原爆っていう新兵器を開発できることがわかった

→「これはすごい兵器だ…!実際にどんな威力を発揮するのか見てみたい!」

→原爆は2種類の方法で作ることができる(ウランとプルトニウム)

→ウランを使用した原爆もプルトニウムを使用した原爆もどちらも使ってみたい…!

→原爆をなんとしても2発落とすぞ!!

って感じ。

もちろん、日本がとんでもないことをしてなかなか降伏しなかったから原爆を落とすしかなかった…っていう事情は大いにあるとは思います。

でも実はそれだけじゃなかったんじゃないの?根底には「実際に試してみたい」っていう人間の好奇心があったんじゃ…?

原爆資料館の展示(特に核兵器開発の歴史の展示)を見ながら、そんなことを考えました。

で、自分の中で「あ、もしかしてこれも…?」ってつながったのが、太平洋戦争が始まった1941年12月8日の真珠湾攻撃について。

「アメリカに挑むなんていう無謀なことをなんで昔の人は決断したんだろう?」ってずっと不思議だったんですけど、

「いい作戦を思いついたぞ…この作戦を実行すればアメリカに一泡拭かせることができる…!実際にやってみたい…」っていう人間の(愚かな)欲求が背景にあったのかもしれないなって思いました。こんなこと教科書には書かれていないけど。

真剣に考え抜いて思いついた”名案”ほど試してみたくなるのが人間の性ですよね。

プーチンだって同じかも。

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