授業づくり

【歴史の教え方】伝えよう、歴史のおもしろさを直球で【中学歴史】

モチオカ(望岡 慶)

前回、歴史の授業のやり方について、たいそう頭でっかちなことを言った。

歴史を学ぶのは「日本の未来を考えるため」だっ!でも中学生がいきなり「日本」について考えるのは難しいから、日本の歴史を学びながら、まずは身近なコミュニティである「学校」や「地域」について考えよう!!(キリッ)

と。

・・・でもこれ、やっぱり難しすぎた。先日の記事の読者が即座に思ったであろうことに、記事公開3日後にようやく気づいた。

そこで今回は、ドヤ顔で書いた先日の記事への反省も込めつつ、性懲りもなく改めて「こうやって歴史の授業をすればいいんじゃない?」という提案をしたい。

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反省

問いを作るのが難しすぎる

正直に白状しますと、「日本の歴史を学びながら身近なコミュニティについて考える」という授業をdesignすることができませんでした。

この前の記事では、歴史の授業について以下のような壮大なvisionを掲げた。

「日本の歴史を学びながら身近なコミュニティについて考える」を中学3年間、徐々に拡張しながらスパイラル的に繰り返す。

「自分にとっての幸せとは?」「みんなにとっての幸せとは?」「自分もみんなも幸せに暮らすにはどうしたらいいだろうか?」

問いを学年で3段階に分け、中学校の3年間向き合い続ける。

  • 中1は古代・中世の歴史を学びながら、「学校」について考える。
  • 中2は中世・近世の歴史を学びながら、「地域」について考える。
  • 中3は近代・現代の歴史を学びながら、「日本国」について考える。

中学3年間を通じて「学校→地域→国家」と段階的に思考のスケールを広げていく。

【歴史の教え方】生徒に何を考えさせればいいのだろう?【中学歴史】

ちょっと言い訳をすると、これは生成AI対策でもあった。

生成AI登場以降、生徒にどんな問いを投げかければいいのか?を考えるのが難しくなった。

教科書に答えが書いてあるような問い(「聖徳太子は国づくりのためにどのような改革を行ったのだろう?」みたいな問い)を生徒に投げかけても、すぐに生徒はiPadに手を伸ばし、生成AIに聞いて解決されてしまう。つか生成AIに聞くまでもなく、教科書を見ればいい。

かといって、「聖徳太子の改革について、あなたはどう思う?」と変化球を投げて生徒の思考を引き出そうとしても、生徒は一切の悪気なく、ノータイムでiPadに手を伸ばす。そして生成AIが吐き出した「答え」を丸写しする。

だからこそ、問いの中に「その生徒しか知らないローカルな文脈」を入れ込もうとしたのだ。

生徒が通う学校や生徒が暮らす地域のことを、生成AIは知らない。だから、ローカルな文脈を踏まえた問い・課題、生徒自身の体験と関連付けなきゃ答えられない問い・課題を作れば、生成AI対策になる!生徒の思考を引き出せるっ!

そう考えたのだ。(言い訳である)

【社会科】「生徒が自分で考えず、AIの答えを丸写しする」への対処法
【社会科】「生徒が自分で考えず、AIの答えを丸写しする」への対処法

しかし僕にはできなかった。

壮大なビジョンをぶち上げた後、

  • 「じゃあ古代の単元ではどんな問いを立てればいいだろう?」
  • 「じゃあ中世ではどんな問いを?」
  • 「どうやったら歴史を学びながら学校や地域という身近なコミュニティを考えることにつながる?」

・・・と考え続けたのだが、どうしても「しっくりくる問い・活動」を作ることができなかった。生徒が「歴史って面白いな、学んでよかったな」って満足する未来を描くことができなかった。

出された課題を前に、全生徒が『先生は一体何を書いてほしいんですの・・・?』とフリーズしている。そんな未来しか描けなかった。

課題に取り組んでくれたとしても、生徒はそれっぽい浅い一般化と転用しかしてくれなさそうすぎる。イマイチなアウトプットばかり出てきそうすぎる。問い・課題がクソすぎて。

くやしいけれど、僕には「歴史の学習」と「身近なコミュニティの未来の構想」をうまく接続する問いを作り出すことができなかった。これが今の僕の実力。

「未来を考えるために歴史を学ぶ」は正しい。

とはいえ、前回の記事で書いた「歴史を学ぶのは未来について考えられるようになるためっ!」という考えは決して間違ってはいないッッ!と今でも思っている。

現代の社会に残っている課題と、その課題が生じている理由を歴史的に理解しないことには、解決策も未来も構想できるようにならないので。

「未来のために歴史を学ぶ」は正しい。まったくもって正しい。

でもそんなの、誰でも知ってるーーー

しかし、こんな当たり前のこと、中学生に向けて火の玉ストレートしてはいけない。

どれだけ教員が愛を込めて、使命感に駆動されて、「生徒がこれから生きていく未来のためにっ!」と熱く語ったところで、中学生は「そんなんわかってるし、ウザっ」って思うだけだ。

中学生は(うっすらと)わかっている。「歴史を学ぶのは未来の幸せのため」「僕たちはより良い社会を築くために、歴史を学ぶ」ってことなんだろうなあ・・・と。

「なんだかんだ勉強しないといけないよなー・・・」って、ソファの上でスマホを眺めながらうっすら思っているのと同じ。そんな時に大人に「勉強しなさい!」って当たり前のことを言われたら、ウザくてたまらないのだ。

「歴史はつまらない」って思っている相手に、「歴史を学ぶのは未来のためだ」と立派すぎる正論をブチ込んではいけない。これではウザすぎる。正論を受け入れる準備ができていない相手に正論で立ち向かうのは悪手である。

歴史の授業のやり方を提案しますっ!(改)

じゃあどうすればいいのか?

歴史の授業で気をつけることはたった一つでいい。

「おもしろい」が最優先

当たり前すぎて書かなかった、という言い訳をしたくてたまらないのだが(←言い訳してます)、歴史の授業中に「へえーー、おもしろ!」って中学生に思ってもらう。これをとにかく最優先にするべきだと思う。

勘違いしてほしくないので強調するけれど、「未来のために歴史を学ぶ」というのは間違ってはいない。というか正しい。でも心の中で思うだけにしよう。願うだけにしよう。口に出さないようにしよう。

まずは「おもしろい歴史の授業」を作る。「おもしろい歴史の話」をする。人間ドラマを伝える。とにかくこれを最優先にする。

歴史を「未来のため」に学ぶのではなく、「今の快楽のため」に学ぶ。おもしろければいい。楽しければいい。まずはこれだけでいい。

「歴史っておもしろいかも?」と思ってくれれば、歴史に興味が湧いて自分で学ぶようになるかもしれない。歴史アンテナが生徒の脳の中にピコーンと立つかもしれない。そう期待して、そう願って、ただただおもしろい歴史トークしよう。

「歴史を学ぶのは未来のためだ」とアツくて高尚な豪速球を投げて中学生を瞬間冷却するよりも、「歴史って思ったよりおもしろいのかもしれない」って思ってもらえるようなスローボールを投げる方が圧倒的にいい。

歴史の授業はシンプルでいい。おもしろければいい。

そもそも歴史はおもしろい

そもそも歴史はおもしろいはずなのだ。歴史がおもしろくないわけがない。なぜなら、歴史には過去の人間が幸せに暮らすために必死こいた「本気」が詰まっているからである。

他人の「必死」「本気」はおもしろい。スポーツでもなんでも、必死な姿、本気な姿を見るのはおもしろい。

そして「あんなに必死だったのに、あんなに本気だったのに、うまくいかなかった」という結末はさらにおもしろい。箱根駅伝で視聴者の心が最も動くのは、あと少しのところでタイムオーバーになり、繰り上げスタートになってタスキをつなぐことができなかった残酷な瞬間である。これが人間だ。

歴史には人間の「必死」「本気」そして「現実の厳しさ」が詰まっている。だからそれを伝えよう。

『地面師たち』だって歴史だ。過去に起きた不動産詐欺を扱ったドラマ。あれがなぜおもしろいのかというと、全員が「必死」で「本気」だからである。

『国宝』だって、主人公である喜久雄の「本気」の場面が最もおもしろい。

日本の歴史とは、日本列島にたまたま生まれた人々が幸せに暮らそうと試行錯誤してきた記録である。人間の「本気」と「必死」が詰まっている。

過去の人々はこんな問題に直面していた。でも幸せに暮らしたいから、問題をなんとしてでも解決したいと思った。その結果こんなことが起きた。「必死」で「本気」ゆえの人間ドラマ。それをそのまま伝える。

単に歴史上の出来事、事件、事実(=歴史の用語)を淡々と伝えるのではなく、その背景にある人間の苦悩・葛藤を伝えることに力を入れる。

検定教科書の「行儀よく書かれた文章」に、教員が命を吹き込むのだ。

教科書は、優秀な学者がちゃんとした研究に基づいて「言いすぎないように」書かれ、たくさんの大人にチェックされた上で出版されている。それはさすがにちょっと盛りすぎでは…?ということを言わないよう、リスク管理した上で作られている。そんな教科書の無味乾燥な文章を、現場の教員がリアルなドラマっぽく伝える。

もちろん嘘はいけない。二重の意味で嘘はいけない。

1つ目は、明らかな歴史の嘘は言わないということ。あくまでバラエティ番組ではなく学校の授業。嘘はダメだ。まあ中学の歴史の授業は限りなくエンタメ寄りでいいとは思っているけれど。

2つ目は、教員自身がおもしろいと思っていないことを「おもしろいでしょ」と嘘をつかないということ。こっちの方が重要だ。生徒に歴史を楽しく学んでもらうには、まず教員が歴史を面白がる必要がある。

そもそも歴史はおもしろい。過去の人間が幸せに暮らすために必死こいた「本気」が詰まっている、人間ドラマなのだから。それをそのままダイレクトに伝える。これこそが歴史の授業での教員の役目だと僕は思う。

・・・・・・・と、社会科の教員が誰しもとっくの昔にわかっているだろうことに、やっとたどりついた。

いやわかってはいた。でも、頭でっかちに複雑に考えすぎていた。歴史の授業はシンプルでいい。とにかくおもしろく伝える。

ただ注意点として、時代が現在に近づけば近づくほど、他人の「不幸」を「おもしろく」語ることには慎重にならなければならない(てかやめた方がいい)とは思う。事件の当事者がまだ生きている場合など、さすがに「おもしろく」語るのは不謹慎な事例はある。太平洋戦争もそうだろう。

教員がひたすら喋り倒す授業にしないために

とはいえ、これでは「教員がひたすら喋り倒す授業」になってしまう。

教員の独りよがりな自己満足に陥る恐れがある。そもそも「教える」は手段でしかない。それに、学習指導要領の「課題を追究したり解決したりする活動を通して」という文言を完全無視することになる。

これではいけない。

じゃあどうすればいいのか?

→次の記事で(まだまだ考えます)

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