中世

【日本史】総領制をわかりやすく:「いざ鎌倉」とは?

モチオカ(望岡 慶)

鎌倉時代の武士は、自分が管理している土地に館を作って、武芸を磨きながら生活していました。

そんな武士たちが、どのように集団行動していたのか?について説明します。

モチオカ
モチオカ
社会科ブロガー
Profile
千葉の公立中・公立高から、1年間の浪人を経て東大へ(文3→教育学部→大学院教育学研究科)。公立中学校の教員になった後、数年で退職。現在はブロガーとして生計を立てて8年目。★学生時代から教員時代にかけて、ずっと引っかかっていたのは、学校で学ぶ社会科と現実の社会とのギャップ。教科書を理解しても、ニュースを理解できない。このギャップを埋めたくて、今も社会の勉強を継続中。★目標は「世界一の社会科教員」——教えるのがうまい人ではなく、「この人といると自分も学びたくなる」そう思ってもらえる存在——になること。
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惣領制

武士は、将軍と主従関係を結んだ御家人を中心に、血の繋がった人たち(家族)でまとまって行動をしていました。

家族の代表者が御家人になって(将軍と主従関係を結んで)、御家人が代表して御恩を受けて、奉公する時は家族みんなでやる、っていう感じです。

このような仕組みのことを惣領制って言います。

将軍が一人一人の武士と主従関係を結んでいたわけではない、ということです。

御家人がまとめて御恩をもらう

将軍と主従関係を結んでいるのは御家人なので、御家人がまとめて御恩をもらうってことになります。

ところが、御恩として与えられる土地(の管理権)は一箇所にまとまっているわけじゃなくて、いろんな地域に分散して存在しています。

これらの土地を子供達が相続します。

血のつながった家族は各地に分散する

だから、血の繋がった家族は各地に分散することになるわけです。

鎌倉で一大事が起きた時、みんな鎌倉に集まる

各地に分かれて住んでいても、いざ奉公をする場面が訪れた際は血の繋がった集団でまとまって行動をすることになります。

例えば鎌倉で反乱が起きてその戦いに参加する際は、各地から鎌倉に集結します。これが「いざ鎌倉!」です。

動画でも解説

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モチオカ
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社会科ブロガー
千葉の公立中・公立高から、1年間の浪人を経て東大へ(文3→教育学部→大学院教育学研究科)。公立中学校の教員になった後、数年で退職。現在はブロガーとして生計を立てて8年目。★学生時代から教員時代にかけて、ずっと引っかかっていたのは、学校で学ぶ社会科と現実の社会とのギャップ。教科書を理解しても、ニュースを理解できない。このギャップを埋めたくて、今も社会の勉強を継続中。★目標は「世界一の社会科教員」——教えるのがうまい人ではなく、「この人といると自分も学びたくなる」そう思ってもらえる存在——になること。
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