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【日本史】「開港場が兵庫から神戸に変わった」とは?【日米修好通商条約】

モチオカ(望岡 慶)

このまえ神戸観光をした時に「日米修好通商条約で兵庫が開港されることに決まったけど、神戸に変更された」の意味がやっとわかったので、まとめます!

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日米修好通商条約(安政の五カ国条約)で決まったこと

1858年6月に日米修好通商条約にサイン(調印)をした後、1858年7月から9月にかけて、幕府はオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の条約を結ぶことになりました。

これら5カ国と結んだ条約のことをまとめて安政の五カ国条約と言います。

外交史料館にて(2021.7撮影)

安政の五カ国条約(日米修好通商条約)は一言で言うと、「欧米人が日本で商売してもOK」っていうことを認めた条約です。

安政の五カ国条約

(1)開港場・開市場の設定

  • 下田・箱館に加えて神奈川・長崎・新潟・兵庫も開港
  • 江戸・大阪の開市

(2)欧米人は居留地の中で居住・通商を行う

(3)通商は自由貿易とする

(4)領事裁判権を認める

(5)日本に関税自主権がない(協定関税制)

(6)外国に対してだけ最恵国待遇を認める(片務的な最恵国待遇)

【日本史】日米修好通商条約の内容をわかりやすく
【日本史】日米修好通商条約の内容をわかりやすく

開港場として兵庫が選ばれた理由

兵庫は天然の良港で、古くから兵庫津として栄えていました。

天然の良港である理由は以下の通り。

  • 北風が六甲山により遮られるので波が穏やか
  • 兵庫津の南にある出っ張り(和田岬)のおかげで波が穏やか(←西風と明石海峡の強い潮流を防ぐ)
  • 水深が深い
  • 干満差が少ない
  • 政治経済の中心地であった京都・大阪に近い
歴史の教科書の平清盛のところで「大輪田泊」ってのが出てくるのを覚えていますか?あの大輪田泊は兵庫の港のことです!日宋貿易・日明貿易の中心地。

大輪田泊とは?わかりやすく解説

兵庫開港を延期

ところが、1863年に兵庫を開港する約束だったのにもかかわらず、幕府は1862年にヨーロッパに使節を派遣して兵庫開港を5年先延ばしにしてもらいます

  • (理由)兵庫は京都に近いため、天皇が兵庫開港を許さなかった

当然、欧米諸国は「はよ開港せい!」って圧をかけます。

結局、開港期限の約半年前にようやく天皇の勅許が得られました。

開港場を兵庫から神戸に変更

1868年、兵庫に代わって神戸が開港されることになりました。

「兵庫を開港するよ」って言っておきながら、日本は神戸を開港した。

「兵庫」と「神戸」の違い

兵庫の港(大輪田泊→兵庫津)は現在の神戸駅の近く。

一方、神戸港は兵庫の港よりも北東にあります。現在の元町駅の近く。もともとは神戸村という村で、港としての施設はほとんどありませんでした。

神戸海洋博物館にて(2023.6撮影)

開港場が兵庫から神戸に変わった理由

(理由1)すでに大都市だった兵庫津に外国人居留地を設けるのは困難

(理由2)たくさんの日本人が住んでいる兵庫を開港すると外国人と日本人の間でトラブルが起きる可能性が高い

結果、神戸港周辺が発展

神戸港の開港にともない、外国人居留地が神戸港の近くに作られました

※中国人も西洋人の使用人や召使いとして神戸に来た。日本は中国(清国)と条約を結んだわけじゃなかったので、中国人は居留地に住むことはできなかった。そのため、日本人との雑居が許された居留地の西側のエリアに住み着いた(→南京町)。

神戸にて(2023.6撮影)
神戸にて(2023.6撮影)
神戸にて(2023.6撮影)

以後、兵庫の市街地がだんだん東の方へと拡大(元町→三宮)。

→戦後復興の中で三宮が整備され、三宮が市の中心地の地位を獲得

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