中世

【日本史】地頭とは?わかりやすく:なぜ土地の管理が必要?なぜおいしい役職?

モチオカ(望岡 慶)

地頭とは何なのか?について説明します!(※鎌倉時代の話)

地頭について調べたけど、Wikipediaとかの説明は詳しすぎてわかりにくい!っていう人向けです。

モチオカ
モチオカ
社会科ブロガー
Profile
千葉の公立中・公立高から、1年間の浪人を経て東大へ(文3→教育学部→大学院教育学研究科)。公立中学校の教員になった後、数年で退職。現在はブロガーとして生計を立てて8年目。★学生時代から教員時代にかけて、ずっと引っかかっていたのは、学校で学ぶ社会科と現実の社会とのギャップ。教科書を理解しても、ニュースを理解できない。このギャップを埋めたくて、今も社会の勉強を継続中。★目標は「世界一の社会科教員」——教えるのがうまい人ではなく、「この人といると自分も学びたくなる」そう思ってもらえる存在——になること。
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地頭とは

地頭っていうのは、土地の管理をする役職です。

  • 土地(地域)の管理を行う(荘園・公領に置かれた)
  • その土地(地域)にいる農民から税(年貢)を集める
  • 集めた税(年貢)を納める

これだけだとわかりにくいので、「あーなるほど!そういうこと!」って思ってもらえるように頑張って説明します!

鎌倉時代の土地のあり方

日本列島の土地は、「ここは公領だよね」「あそこは荘園だよね」って感じで、公領と荘園が入り混じっている感じになっていました。

  • 公領=国衙領(こくがりょう)=朝廷が支配している土地
  • 荘園=貴族や寺院の私有地

この仕組みのことを荘園公領制と言います。

【日本史】荘園とは?わかりやすく(初期荘園、寄進地系荘園:古代の土地制度)
【日本史】荘園とは?わかりやすく(初期荘園、寄進地系荘園:古代の土地制度)

公領と荘園が混在するようになった過程

土地は天皇のもの

奈良時代にひとまず完成した「天皇中心の国家」(律令国家)では、以下のような方針がとられていました。

  • 「日本の土地は天皇のものですよ!」(公地公民の「公地」)
  • 「生きている間は、食べていくための農作物を作るための土地(口分田)を6歳以上の男女にあげますよ!」(班田収授法)

土地の私有を認める

ですが、いろいろあって、天皇は「自分で開墾した土地はあなたのものですよ」ってことを認めるようになります。これが743年の墾田永年私財法。

この墾田永年私財法をきっかけとして、貴族や寺院が今まで未開の土地だったところを開発しまくって「オレの土地」を作るようになりました。これが荘園=貴族や寺院の私有地です。(初期荘園)

荘園が増加

土地の所有者である荘園領主は、土地の一部を農民に貸してレンタル料をとったりしたようです。

その後、単に開発をするだけでなく、寄進が活発に行われるようになったりして、荘園がどんどん増えていくことになります。

こうして、日本の土地は公領(朝廷が支配している土地)と荘園(貴族や寺院の私有地)が入り混じることになります。

【日本史】荘園とは?わかりやすく(初期荘園、寄進地系荘園:古代の土地制度)
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貴族や寺院が開墾して作った荘園も、朝廷に税を納める必要のある土地

ただ、「オレの土地」(荘園)だとしても、税を納めなくてもOKっていうわけではありませんでした。天皇は、新たに開墾した土地からも税を取ることになっていたからです。

ところが、人間はいつの時代も、税を納めたくない生き物です。結局、あの手この手を使って「税を納めなくてもOKな特権」を認めさせることに成功したところも出てきました。(中世荘園)

土地の管理をする役職が必要

ここからが本題です。

荘園の管理者

貴族や寺院が土地を開発しまくったり寄進されまくったりして「オレの土地」(荘園)をたくさん持つようになると、自分一人ではそれらの土地を管理しきれなくなりますよね。

そこで、「その土地を管理する人」が必要になるわけです。これが荘官(しょうかん)です。

荘官=荘園領主から現地の管理を任された人

※実際に土地の開発をした人(開発領主)がそのまま荘官に任命されることもあった

妄想ですけど、例えばその土地で火事が起きたりしたら、「火を消すぞー!」ってリーダーシップをとって消化活動をしたりしたんだと思います(適当)。こういうもろもろの仕事が「土地の管理」のはず。

あと、その土地にいる農民から収穫物(税)を集めて荘園領主に差し上げる、っていう仕事もしていました。

公領の管理者

一方、公領でも土地の管理をする人が必要になってきます。

奈良時代にひとまず完成した「天皇中心の国家」(律令国家)では、「一人一人の人民から税を集める!」っていう方針でした。

が、一人一人から集めるのってすごく大変でうまくいかなかった。

その結果、天皇はそれぞれの地方(国)をまとめる国司っていう役職のトップの人(受領)に権限と責任を集中させて、「国内の支配は任せるから税を集めて持ってきてねー!」っていう方針に転換しました。

受領は、自分が担当している国にいる有力な農民に「あんたがいる地域の税をまとめて持ってきてね!あんたが代表者だから!」って頼みます

もしくは、有力な農民に「税をそんなに納めなくてOKにしてあげるから、新たに土地を開発してよ!んで管理してよ!」ってお願いするようになりました。そうしたら受領の取り分が増えますからね。

この有力な農民が、受領からの税の取り立てを回避するために自分がいる地域を荘園領主に寄進したりするようになって、荘園と公領がさらに入り混じることになってわけわかんなくなっていくのですが、、、、、、、(←まじ複雑)

ここではとりあえず「荘園でも公領でも土地の管理をする人がいて、その管理人が税(年貢など)を集めて、領主に納めるようになった」っていうことを理解してもらえればOKです。

土地の管理者(荘官など):年貢の徴収・納入を行う

武士の時代【地頭とは】

最後にようやく、地頭に関する本質的な話をします。

土地は富の基盤です。

なので、土地の開発が進むにしたがって土地の境界をめぐる対立がたくさん生じるようになります。「ここはオレの土地だし!」「いやワタシの土地だし!」みたいな感じ。

ただ、天皇としては「地域社会でのトラブルは現地で実力で解決せよ!(自力救済)」って感じの方針だったので(←おそらくすべてのトラブルに対応する余裕がなかったのでしょう)、、、こうなるともう武力がモノを言う時代になるわけです。

で、武士が成長していって…源氏と平氏が二大勢力になっていって…(←思いっきり省略しています)

土地の境界をめぐってケンカして負ければ土地を失う可能性があります。

なので、土地の管理をしている人は、「ここはオレが管理している土地だ!そのことを誰かに認めてほしい!誰かーーーーーー!」っていう気持ちになる。

土地の管理をしている人は土地を守るために武装をしていることが多いわけですが、自分のバトル技術だけで何とかするのはシンドイのが正直なところ。

で、それぞれの地域の土地管理者は「オレはどの武士(親分)についていくのがいいんだ?」「自分の土地を守ってくれそうな親分は誰だ???」って頭の中でむちゃくちゃ計算するようになる。

そこでみんなが注目したのが、あの源頼朝でした。

「源頼朝さんはツヨイ!あの人についていけば間違いないはず!今後もこの土地の管理をしていけるはず!(=この土地の収穫物を自分の財布に入れることができるはず!)」って思う人が多かったのです。

で、各地の武士は源頼朝さんと主従関係を結ぶようになった。

源頼朝は、自分についてきてくれた=奉公してくれた武士(主に東国武士)に対して、御恩をあげる

  • あなたがこれまで管理していた土地の支配を今後も認めますよ(本領安堵)
  • 敵から没収して新たにゲットした土地の管理をあなたに任せますよ(新恩給与)

こうやって土地の管理を認めることを、その土地の「地頭に任命する」と言います

土地の管理を認めてもらえれば、その土地の収穫物を自分の財布に入れることができるようになるので、武士にとってオイシイ話なのです。

あと、あの将軍様に認めてもらえた!っていうお墨付きがあれば、他の人がその土地に手出ししにくくなりますよね。

守護に任命されるのと比べると、地頭に任命される方が100億倍うれしかったはずです。

こうして鎌倉幕府は、各地の武士を地頭に任命することによって武士(土地の管理者)をまとめていって、実質的に「日本を支配」するようになります。

まとめ:地頭とは?

地頭

  • 土地(地域)の管理を行う(荘園・公領に置かれた)
  • その土地(地域)にいる農民から税(年貢)を集める
  • 集めた税(年貢)を納める

動画でも解説

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千葉の公立中・公立高から、1年間の浪人を経て東大へ(文3→教育学部→大学院教育学研究科)。公立中学校の教員になった後、数年で退職。現在はブロガーとして生計を立てて8年目。★学生時代から教員時代にかけて、ずっと引っかかっていたのは、学校で学ぶ社会科と現実の社会とのギャップ。教科書を理解しても、ニュースを理解できない。このギャップを埋めたくて、今も社会の勉強を継続中。★目標は「世界一の社会科教員」——教えるのがうまい人ではなく、「この人といると自分も学びたくなる」そう思ってもらえる存在——になること。
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