国立民族学博物館の特別展「舟と人類」を観に行く大阪旅行【2025年12月】
大阪にある国立民族学博物館の特別展「舟と人類―アジア・オセアニアの海の暮らし」に行った旅の記録
1日目(大阪)
9:15 羽田空港発

10:30 神戸空港着
神戸三宮へ 340円

神戸十番


カルビ丼 1,000円
甘辛くておいしい!
次はハラミ丼を食べよう
ホテルへ移動
神戸三宮から大阪 420円
大阪から天王寺 290円
ホテルに荷物を預ける

チェックインまで、近くをうろつく
てんしば
クリスマスマーケットやってた

四天王寺
聖徳太子が建てたやつ


寺の中の屋台の店員が、いかにもな人だらけだった、、、
- 寺の中でたこ焼きやたい焼きの屋台が出店されていたのですが、店員が若いヤンキーっぽい人や、ヤクザっぽいおじさんだらけでした。これはどういうことでしょうか。
-
その光景は、一見すると少し異様で驚かれるかもしれませんが、日本の寺社や地域のお祭りの文化、そして屋台業界の構造に関わる、いくつかの要因が組み合わさって生じている可能性が高いです。
これは決して全ての屋台や寺院に当てはまるわけではありませんが、一般的な背景として考えられる点をいくつか説明します。
寺社の縁日や祭りの屋台の背景
1. 興行(テキヤ)との歴史的な関わり
- テキヤ(的屋): 日本の祭りで屋台を出している業者の多くは、歴史的に「テキヤ(的屋)」と呼ばれる興行を営む組織に属しているか、あるいはその系譜を引いています。
- 非合法組織との関係: 伝統的なテキヤ組織の中には、時代背景から**暴力団(ヤクザ)**やその下部組織と結びつきを持つ、または過去に強い結びつきを持っていた団体がありました。現在でもその名残や形式が残っている地域や業者も存在します。
- 縄張り(シマ): テキヤ組織は、特定の地域や祭りにおける**屋台の出店場所(シマ)**を管理・統制していることがあり、その場所を仕切る「親方」が祭りのたびに場所を提供したり、出店料を徴収したりします。
2. 労働環境と人材
- 日雇いや短期雇用: 屋台の仕事は、特定の祭りや縁日の期間だけ働く日雇いや短期の雇用が多いです。
- 社会的な背景: 採用の敷居が低く、一般的な定職に就くことが難しかったり、一時的に資金を必要としている人が集まりやすい側面があります。そのため、一般的な企業とは異なる独特な雰囲気を持つ人々(「ヤンキーっぽい」など)が集まることがあります。
- 親方の影響: 組織の親方が昔ながらの気質を持っていたり、組織の構成員として若い人を雇い入れている場合、その雰囲気が店員全体に影響を与えることもあります。
3. 寺院側の事情
- 祭りの維持: 寺院や神社は、祭りを盛り上げ、多くの参拝客を呼ぶために屋台の出店を歓迎します。多くの場合、寺院側は屋台業者(テキヤ組織)と直接交渉し、出店場所を提供して「場所代」を受け取ります。
- 出店の簡便さ: 寺院側からすると、個々の屋台と交渉するよりも、テキヤの元締めと交渉する方が、手続きが簡便で祭りの運営がスムーズに進むという利点があります。
結論
あなたが目にした光景は、日本の祭り文化の裏側にあるテキヤという伝統的な興行の世界と、短期・日雇い労働特有の人材構成が、寺社の縁日という場所で組み合わさった結果と考えられます。
最近では、テキヤ組織とは関係のない一般の飲食業者がイベントに出店するケースも増えていますが、伝統的な祭りや大規模な縁日では、昔ながらのテキヤが今もなお中心的な役割を果たしていることが少なくありません。
- 「伝統的なテキヤ組織の中には、時代背景から暴力団(ヤクザ)やその下部組織と結びつきを持つ、または過去に強い結びつきを持っていた」とは?
-
テキヤ組織と暴力団(ヤクザ)との結びつきは、日本の裏社会の歴史と非合法の活動が深く関わっています。
「伝統的なテキヤ組織が暴力団と結びつきを持つ」というのは、単なる知り合いではなく、組織的な系統や活動の連携があったことを指します。
🔪 テキヤと暴力団の歴史的背景
1. 起源と組織の類似性
- テキヤの起源: テキヤはもともと、中世以降の行商人や露天商の集団が、互いの利益や縄張りを守るために結成した組織にルーツを持ちます。
- ヤクザの起源: 暴力団の祖形の一つは、博徒(賭博を仕切る集団)とテキヤ(露天商を仕切る集団)にあります。特にテキヤは、規律や掟(おきて)、親子・兄弟の盃(さかずき)による厳格な擬似血縁関係を持つなど、組織構造や儀式が現代の暴力団と非常に似ています。
2. 縄張りの管理と非合法活動
- 縄張り(シマ)の支配: テキヤ組織は、特定の地域や祭りでの屋台の出店場所、つまり「縄張り(シマ)」を厳しく管理していました。この縄張りを巡る利権の確保やトラブルの解決には、暴力が必要とされる場面が多くありました。
- 暴力の行使: 縄張りを荒らす外部の業者を排除したり、祭りでのいざこざを抑え込んだりするために、暴力装置としての機能が必要とされました。これにより、テキヤ組織は自然と暴力団化していきました。
- 非合法な稼業: 賭博や違法な物品の販売など、非合法な活動にも関わることがあり、これがさらに暴力団との結びつきを強めました。
3. 現代における位置づけ
- 警察庁の分類: 警察庁は、伝統的にテキヤを起源とする組織の一部を、広義の暴力団として認識しています。
- 組織の分離・再編: 昭和時代後半以降、警察による暴力団対策法の強化などにより、テキヤ組織の多くは、表向きは暴力団と関係を持たない「興行組合」「露天商組合」といった合法的な事業団体へと移行するか、完全に暴力団組織(指定暴力団)の傘下に入り、その資金源の一部を担う形へと変わっていきました。
つまり、テキヤ組織の多くは、その歴史の中で縄張りの確保と維持のために暴力性を持ち、それが現代の暴力団組織の系譜の一部として認識されるに至った、という背景があります。

- 四天王寺の本堂について教えてください
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四天王寺(大阪市)の「本堂」は、正式には**金堂(こんどう)**と呼ばれ、日本の寺院建築史において非常に重要な位置を占めています。
この金堂は、飛鳥時代に聖徳太子によって建立された創建当初の様式を忠実に再現した、四天王寺の信仰の中心です。
四天王寺金堂(本堂)の主な特徴
1. 伽藍配置の核心:日本最古の様式
四天王寺の金堂は、寺院全体の配置様式である**「四天王寺式伽藍配置」**の核をなす建物です。
- 四天王寺式伽藍配置: 南から北へ向かって、中門、五重塔、金堂、講堂が一直線に並び、それを回廊が囲む形式です。
- この配置は、飛鳥時代に中国や朝鮮半島の様式を取り入れて成立した日本で最も古い建築様式の一つであり、古代の大陸様式を今に伝える貴重な例とされています。
2. 建築様式
現在の金堂は、戦火や災害でたびたび焼失したのち、創建当時の様式を忠実に再現して再建されたものです。
- **入母屋造(いりもやづくり)**で、屋根は上下二重の構造(錣葺:しころぶき)となっており、法隆寺の金堂と似た外観を持ちます。
- 外観は非常に古様で、飛鳥時代の仏教建築の雰囲気を伝えています。
3. 本尊と四天王
金堂は四天王寺の信仰の中心であり、重要な仏像が安置されています。
- 本尊: **救世観音菩薩(ぐぜかんのんぼさつ)**像が中央に祀られています。この救世観音は、聖徳太子のご本地仏(本地仏)とされています。
- 本尊像は、右手の掌を正面に向ける**施無畏印(せむいん)**を結んだ半跏像という珍しい形式です。
- 四天王: 仏壇の四隅には、寺の名前の由来である四天王像(持国天、増長天、広目天、多聞天)が安置され、本尊を護っています。
- 舎利塔: 堂内には、お釈迦様の遺骨(仏舎利)が納められた舎利塔も安置されています。
- 仏教にお布施の概念があるのは、インドの格差社会の中で貧しい者など立場が弱いものを慈しむことを説きたかったから?
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お布施(布施)の概念が仏教において重要視される理由は、ご指摘の通り**「貧しい者や弱い立場の人々を慈しむ」という側面を強く含んでいます。しかし、それはインドの社会格差への単なる慈善活動というだけでなく、仏教の修行における根本的な目的の一つ**として位置づけられています。
お布施(布施)の概念の二重の意味
お布施(サンスクリット語: $dāna$)は、仏教の修行の基本である**「六波羅蜜(ろくはらみつ)」**の第一番に挙げられる最も重要な実践であり、主に以下の二つの意味合いがあります。
1. 慈悲の実践としての布施(対他)
これは、ご質問の通り、インド社会の格差や苦しみに対して向けられたものです。
- 慈悲の心: 物質的な恵みを与えることで、貧しい人々や苦しんでいる人々の苦痛を和らげようとする慈悲の心を実践します。
- 出家者への支援: また、私有財産を持たない出家者(僧侶)に対して、食料や衣服、住居などを提供し、彼らが修行に専念できるよう支えるという役割も果たしました。
- 社会的な倫理: この行為は、当時のインド社会の厳しいカースト制度や格差社会において、富や立場にかかわらず、惜しみなく与えるという高い倫理観を人々に説く役割がありました。
2. 自己の煩悩を断ち切る修行としての布施(対自)
こちらが仏教の修行においてより本質的な意味合いです。
- 貪りの克服: 仏教では、「貪(むさぼ)り」は苦しみを生む根本的な煩悩の一つとされます。自分が持っているものを惜しまずに与えるという布施の行為は、この貪りの心(執着)を断ち切り、無私になるための最も直接的な修行だとされています。
- 見返りを求めない行為: 大乗仏教で説かれる「六波羅蜜」としての布施は、見返りや報酬を期待しない「無所得の布施」が理想とされます。これにより、**自我を離れた境地(悟り)**へ近づくことができます。
したがって、仏教にお布施の概念があるのは、インドの格差社会という背景の中で、弱い立場の人々を救済するという「慈悲」の側面と、布施という行為を通じて自分自身の「貪り(執着)」の煩悩を断ち切るという「修行」の側面、この両方を追求するために説かれたものと言えます。
仏教ってインドのものから中国のものっぽくなってるよな
大阪マリオット都ホテル

チェックイン
ポイントで宿泊 40,000ポイント
クラブラウンジフロアの部屋、結構奥まったところにある
途中でラウンジのキッチンの出入り口前を通らなきゃいけないのがちょっとイケてない
部屋は靴を脱いで上がるタイプのちょっと和風の部屋
南向きの部屋
景色すごい!
バスタブがぷにぷにした素材で気持ちよかった
ベッドサイドにUSBタイプAしかなくてちょっと使いづらい
テレビが小さいし、自分のスマホからYouTubeとか Netflixに接続できない古いタイプ。こういうところは都ホテルっぽい?
あとチェックインの時に名前を書く必要があった。これも都ホテルっぽい?
ラウンジの食事は結構よかった!(アフタヌーンティー、カクテルタイム)
2日目(大阪)

大阪マリオット都ホテルの朝食
クラブラウンジで
卵メニューは紙に書いてエッグステーションでオーダーするシステム
9:00 あべのハルカス展望台

通常2,000円のところ、大阪マリオット都ホテル宿泊者(プラチナ限定?)は無料券をもらえた!
梅田、なんば、東大阪、堺まで一望できる
全然農地ないんだなあ。山があるところまでビッシリ都市。関東平野より農地少ないんじゃ?
四天王寺の構造も上からだとよくわかる
- 今あべのハルカスにいるんですけど、展望台から平野を見渡すと農地が全然見つかりません。
-
あべのハルカスからの眺めについて、非常に鋭いご指摘です。地上300mの展望台から広大な大阪平野を見渡しても、昔ながらの**「農地」が目立たないというのは、まさに大阪の都市化と地形の歴史**を象徴しています。
あなたが農地を見つけられない主な理由は、以下の2点に集約されます。
1. 極端に進んだ都市化と農地の激減
大阪市とその周辺地域(大阪平野)は、日本でも最も人口密度が高く、都市化が進んだ地域です。
- 農地の80%以上が消失: 昭和40年代以降の急激な都市開発(宅地化、工場用地への転用、ニュータウン建設など)により、大阪府内の農地面積は大幅に減少しました。特に大阪市内で見ると、過去50年余りで農地が約80%も失われたというデータもあります。
- 市街化区域内の農地: 現在残っている農地の約半分は、住宅地や商業地の中に**「点在」**する形(都市農業)で存在しています。ハルカスの高さから見ると、ビルや住宅の屋根に隠れてしまい、**広大な「緑の絨毯」**のような農地帯としては視認しにくいのです。
2. 残っている農地の特性と立地
残された農地は、平野の中心部から外れた場所に集中しています。
- 立地: 現在の農地は、大阪市内中心部から10〜50キロメートル圏内の平野部の周縁や丘陵部に多く分布しています。
- 栽培形態: 平野部で残っている農地は、ビニールハウスを使った軟弱野菜や花壇苗の栽培など、集約的な都市農業が中心です。これも、広々とした稲作地帯のような景色になりにくい一因です。
あべのハルカスの展望台からの眺めは、都市が平野全体を飲み込み、コンクリートとアスファルトの連続体となっている現代の大阪平野の現実を映し出しています。農地は存在していますが、広大な農地としてではなく、都市の中に埋没する形で点在しているため、上空からは見つけづらくなっているのです。
- 関東平野よりも農地が少なくないですか?
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はい、その通りです。あべのハルカスから見下ろす大阪平野は、関東平野(特に関東ローム層が広がる地域)と比較して、農地面積が著しく少ないです。
これは、両平野が経験してきた地形的・地理的な条件と都市開発の歴史の大きな違いによるものです。
大阪平野と関東平野の農地比較
特徴 大阪平野 (主に関西圏) 関東平野 (主に関東圏) 地理的規模 狭い (総面積が小さい) 広い (日本最大の平野) 都市の中心 大阪市周辺に集中し、平野全体が稠密に都市化 東京・横浜周辺から広がり、周辺部に広大な非都市化地域が残る 地形の利用 平野のほぼ全てが早期に宅地・工場地帯に転用された 内陸部の台地や沖積平野に広大な農地が温存された 農地面積 著しく少ない(特に大阪府内) 日本で最も大きい(農業生産額も高い) 1. 平野の規模の違い
- 関東平野: 総面積は約17,000平方キロメートルで、日本最大の平野です。この巨大な面積のおかげで、東京大都市圏が拡大しても、茨城、栃木、群馬、埼玉の一部には広大な農地が残されています。
- 大阪平野: 総面積は比較的小さく、都市圏の拡大が平野全体を覆い尽くす形となりました。
2. 開発の密度と均一性
- 関西圏、特に京阪神の人口密集地は、比較的小さな大阪平野内に集中しています。このため、平野部のほぼ全てが、早い段階で途切れなく宅地や工場、インフラで埋め尽くされてしまいました。
- 関東平野も都市化が進んでいますが、東京圏から離れるにつれて農地が広がる地域が多く、都市部と農村部がはっきり分かれている傾向があります。
あべのハルカスからの眺めが農地が少ないと感じさせるのは、大阪平野自体が比較的小さく、そのほぼ全域が都市化の波に飲まれてしまったためです。関東平野では、その圧倒的な広さのおかげで、今もなお大規模な農地帯が残っているという違いがあります。
近畿地方を一望できて良い!ここは来るべき!!
万博記念公園へ
天王寺から千里中央 480円
千里中央から万博記念公園 250円

これが千里ニュータウンか
天王寺から1時間近くかかるのなー結構遠いわ

太陽の塔はじめて正面から見た!むちゃ大きい!!!
11:00 国立民族学博物館

特別展「舟と人類―アジア・オセアニアの海の暮らし」が今回の旅の目的!
フリーパス 3,000円
特別展 150円
ホモサピエンスがアフリカで生まれ、世界各地に拡散。その過程ですでに拡散していた旧人が駆逐されていった。
ホモサピエンスよりも新しい人類はまだ誕生していない。これから誕生する??
人類は新人の段階になると、海を渡ることができるようになった。
アウトリガー式のカヌーはオーストロネシア語族集団によって発明されたと考えられている
どうやって日本に人類が渡ってきたのか?を3つの舟で検討するってすごすぎる!
こうやって船を作ってたんだあー!ってわかった
ミュージアムショップで本を2冊購入
ホテルへ戻る
万博記念公園から千里中央 250円
千里中央から天王寺 480円
天王寺動物園 500円
15:50入園
アフリカの巨大動物たちを見るのが目的

カバ

ハイエナでか!

ライオン

トラ

キリン

サルたち
サイとチンパンジー見れなかったー
神戸空港へ

新世界って雰囲気いかがわしいなあ
射的とかのゲーム屋台があるの、なんか台湾っぽい雰囲気
動物園前から梅田 240円
大阪梅田から神戸三宮 330円
三宮から神戸空港 340円
- ホモサピエンスとネアンデルタール人などとの違いは、脳の構造ですか?
-
はい、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人などの絶滅したヒト属との違いを理解する上で、脳の構造と機能は非常に重要な要素であると考えられています。
身体的な骨格の違いはもちろんありますが、行動や認知能力の決定的な差を生んだのは、脳の形態、発達の仕方、そして内部構造だったという説が有力です。
🧠 脳の「構造」と「形態」の違い
ネアンデルタール人は私たちホモ・サピエンスと比べて脳容量自体はむしろ大きかったことが分かっています(平均約1400~1500cc、ホモ・サピエンスは約1350cc)。
しかし、その**「形」と「配線」**に違いが見られます。
1. 脳の形態の違い (形状)
- ホモ・サピエンス: 球状(ボール状)で、額が高く、後頭部が丸く垂直です。この形状は、前頭葉や頭頂葉など、抽象的な思考や統合的な情報処理に関わる領域の容量を増やしました。
- ネアンデルタール人: 前後に細長い(ラグビーボール状)形状で、後頭部が突き出しています(パン・オブ・ブレイズ)。この形状は、後頭葉(視覚処理)や小脳に多くのスペースが割かれていたことを示唆しています。
2. 発達速度の違い
- ホモ・サピエンスの乳幼児の脳は、出産後数年間、ネアンデルタール人よりも**急速に「球状化」**し、より多くの神経接続を形成します。この急速な初期発達が、複雑な認知能力や柔軟な学習能力の基礎を築いたと考えられています。
3. 内部構造とネットワークの違い
最も決定的な違いは、化石から直接観察できない内部の「配線」や特定の領域の効率にあると推測されています。
- 社会性・言語野: ホモ・サピエンスは、前頭前野(計画性、判断力、社会性の調整)や、複雑な言語に関連する領域(ブローカ野、ウェルニッケ野)の接続がより発達し、効率的だったと考えられています。
- 情報統合: ホモ・サピエンスは、頭頂葉や側頭葉が統合的に機能する領域がより効率的で、これにより象徴的思考(抽象的な概念や芸術)や、広範囲な社会ネットワークの構築が可能になったという説があります。
これらの脳の構造的な違いが、最終的にネアンデルタール人にはできなかった複雑な芸術活動、遠方との交易、そして環境変化への柔軟な適応といった行動の違いを生み出し、ホモ・サピエンスの生存競争における優位性に繋がったと考えられています。
- ホモサピエンスが約30万年前に誕生してから、新たな種に分化していないのって不思議です
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ホモ・サピエンスが約30万年前に誕生して以来、新たな種に分化していないことは、確かに不思議に思えますし、進化生物学における興味深い論点です。
新しい種が誕生するプロセスである「種分化」が起こるためには、いくつかの主要な要因が必要ですが、ホモ・サピエンスはその要因を打ち消す、極めて特殊な特性を持っているため、分化が起こりにくいと考えられています。
1. 🔄 種分化に必要な条件の欠如
種分化が起こる基本的なプロセスは、集団が地理的に隔離され、その結果として生殖的に隔離されることです。ホモ・サピエンスの場合、この条件が成立しにくいのです。
A. 地理的隔離の打破
- 高い移動能力と拡散: ホモ・サピエンスは、他の動物種とは比較にならないほど高い移動能力と環境適応能力を持っています。約30万年前に誕生した後、わずか数万年で全大陸(南極大陸を除く)に拡散しました。
- 技術による障壁の克服: 寒冷な気候、海、砂漠といった地理的な障壁を、衣服、住居、航海術といった文化的な技術によって克服しました。
- 遺伝子の流れの維持: 地理的な隔たりがあっても、移動や交易によって集団間の遺伝子の交流(ジーンフロー)が絶えることなく続いてきたため、遺伝的な差異が蓄積して別の種になることが妨げられました。
B. 生殖的隔離の欠如
- 人類の集団間には、外見的な違い(肌の色など)はありますが、異なる集団間で子孫を残す能力(生殖能力)は完全に維持されています。これは、ホモ・サピエンスが単一の種であることを示しています。
2. 🧠 文化と知能による「進化の停止」
最も決定的な要因は、人類が獲得した知能と文化の力です。
- 柔軟な適応: 通常、生物は環境が変化すると、身体的な進化(例:毛皮が厚くなる、嘴の形が変わる)によって適応します。しかし、ホモ・サピエンスは、環境が変化しても文化や技術(例:暖房、農業、医療)で適応できるため、身体的な進化の必要性が大幅に低下しました。
- 進化の速度の鈍化: 遺伝的な変異が自然選択によって新たな種になるほどのスピードで蓄積されなくなった、とも言えます。知能と文化が、自然選択の圧力を弱めてしまったのです。
- ニッチ(生態的地位)の拡大: 人類は特定の環境に特化するのではなく、技術によってあらゆるニッチを独占的、または破壊的に利用できるようになりました。これにより、他の集団が特殊な環境に適応して分化する余地(生態的な棲み分け)がなくなりました。
まとめ
ホモ・サピエンスが新たな種に分化しないのは、遺伝子の流れを維持する圧倒的な拡散能力と、文化と技術による柔軟な環境適応能力という、他の生物種には見られない**「進化的優位性」**を持っているためである、と考えられています。
ホモサピエンスが約30万年前に誕生してから、新たな種に分化していないのって不思議です

